“大衆娯楽”のプロレス文化を根付かせた 24年間の歴史に幕を引いた大分プロレス
地方にいるからこそできることがある
「僕はプロレスをやりたいという原点がUWFで、船木さんとは昨年、藤原さんとは3年前にシングルで戦って自分の中では納得していたんですけど、最後になる相手を考えた時、やっぱりどうしても最初のきっかけの選手たちと戦いたいっていう気持ちが強くなって、お2人にお願いしたというのが経緯です」
解散興行から1カ月を経て、やり切った清々しい気持ちというアッチィーは振り返る。
「地方にいて、地方にいるからこそできることもいろいろあるんだなっていうのは実感しました。九州という離れた場所だからこそ交渉をするのも交流を持つのもいろいろ大変でしたけど、これはプロレスだけに限らず、逆に離れているから、地方だからこそできることもあるなというのは感じました。九州の福岡とか熊本ではなく、大分というちょっと一歩ずれたところからのラブコールというのは受けやすかったのかなと思います。その代わり、熱意と情熱はもう何回も伝えました」
“情熱”と“継続”がチャンスを呼び込む
「本当に月並みなんですけど“情熱”と“継続”というか、情熱を燃やし続けていくとチャンスが訪れて、それをつかむかどうかだと思います。あとは“きっとうまくいく”と自分を信じること、あまり力まず“なんとかなる”の精神。情熱を消すことなくやっていくと、いろいろチャンスが訪れるよっていうメッセージはこれからも発信し続けていきたいと思います」
大分プロレスとしての興行は幕を下ろしたが、今後もアッチィーは「依頼があれば裏方としてプロレスを地域のイベントやお祭りにプロデュースします。形は変わっても地域にプロレス文化を根付かせていく形で活動します」とその思いは冷めない。
「“社会とプロレス”できたらいいなと。社会でレスラーとして生きたいという思いは非常に強いです」
大分プロレスは活動を停止しても、形を変えて生き続けている。