凱旋門賞 特別インタビューvol.01 「勝たなければ、なにも始まらない」
凱旋門賞に挑むサトノダイヤモンド、同馬を管理する池江調教師に話を聞いた 【Photo by Kazuhiro Kuramoto】
「12年のオルフェーヴル、いまなら勝たせることができた」
2012年、オルフェーヴルが2着に敗れたレースは「当時の僕の若さ」と悔やむ池江調教師 【Photo by Kazuhiro Kuramoto】
「いい追い切りができました。CWコースで6ハロン81秒という時計は、ウチの厩舎の普段の追い切りと比較するとかなり負荷をかけた内容なんですよ。長距離輸送に耐えられる状態に持っていくのが一番の目的なわけですが、このひと追いでどちらも60%ぐらいには上がってきたと感じています。本番の前にフォワ賞(9月10日、シャンティイ、芝2400m、G2)を叩く予定で、その時点で70%から80%まで仕上がるのがちょうどいい。2頭とも、環境の変化や長時間の輸送に動じない強い精神力を備えていると見込んでいるわけですが、それでも20時間に及ぶ航空機による輸送なら最低でも20キロの体重減は必ずあるもの。そのあたりも計算して現時点ではだいぶ太めに作っていますが、そうしたことを全て考えても、今朝の追い切りは非常に上手くいったと思っています」
池江師は、2012年、13年と2年連続でオルフェーヴルをフランスに遠征させて、フォワ賞1着、凱旋門賞2着。同じ着順を2年続けている。100年近い凱旋門賞の重い歴史をたどっても、欧州以外の調教馬からはいまだに勝ち馬が出ていないことを思えば、“世界の2着”を2年続けたことだけでも偉業と言えるだろう。しかし池江師は、はっきりとわかる不満な表情を浮かべて、こう訴えるのだ。
「12年の凱旋門賞を取りこぼしたのは、当時の僕の若さです。いまなら間違いなく勝たせることができていたでしょう。これは自信を持って言えることです」
「調教師として一番勝ちたいレース」
「出国時60%、前哨戦70〜80%、本番で90%以上」 【Photo by Kazuhiro Kuramoto】
「あのときのスミヨンの勢いに安易に妥協してしまったのが、自分の若さだった」と悔いる池江師。いまなら、オルフェーヴルが本来内面に秘めている破天荒な面をさらけ出す場面を、自信過剰な鞍上に示すシチュエーションを作り出せているという自信の裏返しでもある。
惜敗を二度喫していることもあるのだろう、凱旋門賞を「実質的な世界一決定戦ではなくても、調教師として一番勝ちたいレースです」とキッパリ言う池江師。悲願に到達するためのノウハウは十分に積んできた。「出国時60%、前哨戦70〜80%、本番で90%以上」という仕上げの工程は、修羅場を幾度もくぐり抜けてきた指揮官でなければ言えない数字。その口調には迫力が感じられた。