熱意がつながり10回目 野球への思いが結集する離島甲子園

平野貴也

一人の少年の訴えで発足したチーム

紅一点で主将を務めた岡崎颯希さん 【平野貴也】

 能古島アパッチは、9年前に一人の少年が「試合ができなくてもいいから活動させてほしい」と青少年育成協会に訴えたことをきっかけに始まった。能古島は陸上交通のない有人離島ながら離島振興法に指定されておらず、離島甲子園も当初は出られないと思っていた。それでも夏の思い出作りにしようと、3年前に監督と部員3名で佐渡島(新潟)を訪れて大会を見学。キャッチボールイベントや野球教室に参加させてもらうことができた。2年前も開催地の五島(長崎)を訪れてイベントだけ参加。同年に日本テレビ系列「24時間テレビ」の企画で取り上げられた反響もあり、現在の中学2年生が入部。そして、前回大会は、東京の小笠原諸島との合同チームで、離島甲子園に初めて参加した。

 まだ7人しかいないが、2度目の大会参加にこぎ着けた。主将を務めた、紅一点の3年生・岡崎颯希さんは「去年の大会で初めて中学生と試合をしました。同じ離島でも、すごくレベルが高くて、市の大会を優勝したり、全国大会に出たりしていて、すごいと思いました。今年は初参加の選手が、初めての試合でヒットを打てたのが良かった。普段より声を出していた仲間もいました。私も初めてバットにボールが当たって、前に転がりました」と、初めて触れる同年代の野球に圧倒されてから1年越しで得たわずかな手応えを素直に喜んだ。

少しずつ進むための活力

イニングの合間に選手に声を掛ける清水監督 【平野貴也】

 離島甲子園は、ハンデを知る者同士が慰め合う場ではない。大会提唱者の村田さんは、大会終了後に行った野球教室で「離島のハンデを言い訳にするなよ。何事も『必ず成功する』という確信を持って臨みなさい。本土の子たちに負けるな」と喝を入れた。

 大会は、下手でも、弱くても、少しずつ進むための活力だ。先発投手の福島君は「仲間を集めたい気持ちは、あります。体験入部の子が来たから『入らない?』って声を掛けたんですけど。来年は人数が9人そろったらいいなと思うけど、もしそろわなくても大会に出たいし、もっと強くなって試合に出たいです」と再挑戦を誓った。

 たった1人の挑戦が、今につながっている。野球がやりたい――誰かの熱意が、次の熱意を生む。清水監督は「選手を借りていて、皆さんにおんぶに抱っこの状況ですけど、同じ状況のチームがほかにもあるはず。予算がない、人数が足りないといって諦めるのではなく、助け合うことで試合をさせてあげられるということを知ってもらいたい」と訴えた。

 子どもの野球離れが叫ばれる中、最も過酷な状況の離島で生まれる熱意が、離島甲子園という舞台でつながっている。

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著者プロフィール

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。主に育成年代のサッカーを取材。2009年からJリーグの大宮アルディージャでオフィシャルライターを務めている。

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