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広島・赤松、V2迫るチームへメッセージ
「特別なことをしないのが一番」
胃がんからの復活を目指す広島・赤松。すでに練習復帰を果たしており、「パフォーマンスは20〜30%くらい」と話す
胃がんからの復活を目指す広島・赤松。すでに練習復帰を果たしており、「パフォーマンスは20〜30%くらい」と話す【写真:BBM】

 昨季は試合終盤の切り札として、チームの優勝を支えた守備・走塁のスペシャリスト。広島・赤松真人はオフに判明した胃がんの克服、そして試合復帰を目指し、現在は3軍で汗を流す毎日を過ごしている。頼れる兄貴分から、チーム、そしてファンにメッセージを送ってもらった。

パフォーマンスは20〜30%くらい

 練習復帰から約1カ月半が経ちました。


 現在の練習メニューはだいたい決まっていて、朝9時からアップを行い、終わったらキャッチボール。それからノック、ティーバッティング。そしてトレーニングルームで下半身や上半身のウエート・トレーニング。最後に軽く走って終わり。全体では2時間半ほどです。


 手応えとして、ボールを投げたり、打ったりのパフォーマンスは20〜30%くらい。それでも、復帰したばかりのころよりはだいぶ良くなっています。ただ、体力、筋持久力は戻っていません。ちょっと動いただけで疲れてしまう。それに慣れてくるのはいつになるかは分かりませんが。


 今はずっと疲労している感覚です。小川(靖之)トレーナーいわく、「筋肉を戻すのには3カ月はかかる」とのこと。あと1カ月半でようやく動ける筋力が戻ってくるので、それまでに心肺機能を高めるトレーニングを行っています。


 打撃練習などで使っているバットはこれまでと同じ重さのものですが、やはり“重い”とは感じます。ただ、それは筋力が落ちているからで、筋力が戻ればそうは感じないはず。今は焦らずにやっています。


 練習を開始した初めのうちは、脳がマックスのスピードや、「どこまで力を加えていい」という感覚を覚えていたために、それを思い描いて動き過ぎてしまい、関節を痛めてしまったこともありました。例えば走ったときにスピードが全然乗っていない、筋力が戻っていないのにイメージだけはあるから、イメージどおりの走りをしようとして足首やヒザを痛めてしまいました。そこでちょっと間を空けようとなり、筋力系のトレーニングを1週間か2週間くらいしてからやってみたら結構走れたので、筋力は大切だと再確認しました。


 動かない自分の体への不安はありますが、病気が病気ですからね。あまり焦らないように。普通のケガとは違うので、1日1日、やれるペースで。自分ができると思ったら、追い込むというほどではないですが、少し負荷を上げるなどの微調整を行っています。


 今はもうありませんが、初めのうちは焦りがありました。ノックを受けてスローイングをしようとしても、ボールが握れないんですよ。抗がん剤の副作用で手足がしびれてしまっていて、ボールを握れないまま放ってしまったこともありました。1カ月前には「これはまずいな。回復せんな」と思っていましたが、徐々に良くなっています。だから大丈夫かな、と思っています。


 小川トレーナーが言うように、3カ月経って筋力が戻ったころに、どれだけしびれが残っているか。僕自身としては、このしびれはずっと残るものだと考えています。その状況でどれほどのパフォーマンスを残せるか。その感覚に合わせてプレーするしかないですからね。

野球をやる前にまず、生きるか死ぬか

 昨年12月に健康診断を受けた際に胃がんが判明したのですが、それまで自覚症状はまったくありませんでした。だから病名を聞かされたときには驚きしかなかったですね。「ウソだろ」と。


 1月に手術を受けましたが、リンパ節への転移が分かり、抗がん剤治療を始めました。15日に退院し、20日から治療をスタートしたのですが、初めのうちは怖かったですね。最初はどんな副作用が来るかまったく分からなかった。そして2回目には、1回目のことが頭をよぎるわけですよ。「また、あれをやらないといけない。吐き気だ。下痢だ」と。4回目くらいまではとてもきつかったですね。


 それでも、その副作用も次第に分かってきます。5回目には「もう大丈夫」と思えるようになりました。副作用の出る初めの1週間だけ頑張ればいいという流れができてきますから。まあ、その1週間はきついですけどね。


 抗がん剤治療の方法としては2つの選択肢がありました。錠剤などの飲み薬だけを1年間続けるか、それとも飲み薬と点滴を併用しつつ半年間行うか。僕は後者を選びました。


 それはまず、自分の命を優先したからです。これまでの統計上だと思いますが、半年のほうがほかの場所に転移する確率は低いし、5年生存率も高いというデータが出ていたためですね。


 治療を始める前には主治医の先生から、「(半年間だと)手足にしびれが残るから、野球選手が抗がん剤治療をするのであれば、1年間のほうがいいんじゃないか」という話もしていただきました。先生には、野球についてとても考えていただきました。だけど、野球をやる前にまず、生きるか死ぬか。僕は今34歳で、あと5年もプレーできたら素晴らしい現役生活ですよね。でも、その後の人生のほうが長い。どちらを取るかとなり、命を選びました。


 僕の感覚として、「しびれがあっても野球ができるんじゃないか」という思いがありました。先生に「しびれがあるからといって力が落ちるんですか?」と質問すると、しびれがあっても力が落ちるわけではないということでした。握力などは変わらないけど、感覚が鈍くなってしまうと。そういう意味で、僕は外野手で良かった。だいたいで放れば内野手や捕手がカバーしてくれますから。これがピッチャーや内野手だったらボールを放ることは難しいでしょうね。ほかのポジションと比べるとだいぶマシだと思います。


 だからもし、僕と同じ病気になったピッチャーがいて、選手として復帰するつもりなら、1年間の治療を選んだほうがいいと伝えますね。

菊池が一番多く連絡をくれた

病床の赤松に一番多く連絡をしていたという菊池。赤松の体調が優れないときは細やかな配慮もしていた
病床の赤松に一番多く連絡をしていたという菊池。赤松の体調が優れないときは細やかな配慮もしていた【写真は共同】

 ここまで支えてくれた存在は、もちろん家族。特に妻(寛子さん)は一緒にいた時間も長いので、本当に支えてもらいました。


 チームメートも同様です。いろいろな選手に声をかけてもらいましたが、中でも菊池(涼介)は一番多く連絡をくれました。「そのタイミングで連絡してくる?」という感じで(笑)。例えば、試合前に電話をかけてくるんですよ。ビジターだと試合前のノックの直前とか。もちろんホームでもみんなでテレビ電話をしてきて、「元気? 生きてる?」と(笑)。菊池らしいですよね。


 あいつは僕の妻の携帯電話の番号を知っているんです。僕が抗がん剤を使っていてしんどいときは、先に妻に「今、連絡してもいいですか?」と確認をしてから、連絡してくるんです。意外と、そういう細かい配慮をしてくれるタイプなんですよ。


 タイミングによっては、話せるような状態ではないときもありました。でも、そういうときはみんなには会っていないですから。みんなに会うときはしんどくないときで、明るい僕しか知らないんですよ。「意外に元気やん」と言ってもらうんですが、半分以上はしんどかったですね。


 それでも、外に出ることが大事なのだと気付かされました。病気になる前には家で1日ぼーっと過ごすこともありましたが、今は何かあれば外に出たくなります。抗がん剤を使うと、寝ていることしかできません。でも、少し調子が良くなれば散歩であったり、サイクリングであったりをしたくなる。だから今、抗がん剤治療が終わってチームに合流して、何でもない1日が幸せに感じます。これまで普通だったことが、普通ではなくなった。今では特別に感じられますね。普通に練習していることがうれしいです。

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