【全日本プロレス】宮原が石川を下し三冠王者に返り咲き 来年の横浜文体、さいたまSA大会も発表
宮原が三冠ヘビーに返り咲き。全日本プロレスが勢いを見せている 【写真:前島康人】
全日本は日本プロレスを退団した故・ジャイアント馬場さんが中心となって1972年10月22日、東京・日大講堂にて旗揚げ。以後、選手の大量離脱や分裂騒動など、幾多の危機を乗り越えてきた。14年7月からは秋山準が社長に就任。昨年11月27日には両国大会を大成功させ、いまや後楽園ホールや地方大会でも満員マークを連発するなど、着実にプロレスファンの支持を集めている。
『秋山全日本』の大きな魅力は、選手層の厚さとバラエティーの豊かさ。イキのいい若手選手たちを育てながら、ベテラン勢もどっしりと構えており、どの時代からのプロレスファンでも、強い思い入れを抱いてしまう。また、選手の団体、国籍、過去の経歴を問わず受け入れる懐の深さにより、タイトル戦線が活性化し、異色の顔合わせが惜しみなく実現。今大会でも「元全日本」選手が多数参戦し、それぞれの現在の所属団体のカラーをそのまま持ち込むことで、新たな化学変化が起こり、観客にも選手にも刺激を呼び込んでいる。
この勢いに乗り、なんと来年2月3日に神奈川・横浜文化体育館、3月25日に埼玉・さいたまスーパーアリーナ大会の開催を発表。現在のポテンシャルと将来的なのびしろを考えれば、現在プロレス業界でひとり勝ちを続ける新日本プロレスに肩を並べる日もそう遠くないかもしれない。
平成生まれの若きエースが引っ張る「攻める全日本の中心はオレ」
最後はシャットダウン・スープレックスでとどめをさした 【写真:前島康人】
石川は今年の「チャンピオン・カーニバル2017」で初優勝を果たし、その勢いで5.21後楽園で宮原から三冠王座を奪取。これまで1年3カ月に渡り、8度の防衛に成功していた不動の王者をドン底に突き落とした。
石川はその恵まれた体格を生かし、鉄柵ホイップやエプロンへのファイヤーサンダーなどダイナミックな攻撃を見せると、15分過ぎには飯伏幸太と共同使用している変形のヒザ蹴り「カミゴェ」も発射。さらにファイヤーサンダー、スプラッシュマウンテンとたたみかけると、前哨戦でも見せた「宮原殺し」も決まるが、カウントは2。宮原はカミゴェを阻止し、逆に怒涛のブラックアウト3連発をブチ込むと、シャットダウン・スープレックスでトドメをさした。
再び頂点に返り咲いた宮原は「全日本はますます高みを目指してさらに攻めていく。その攻める全日本の中心はこのオレ」と、“最高のチャンピオン”として、今後もあらゆる敵を迎え撃つと宣言。平成生まれの若きエースが、46年目を迎える老舗団体に活を入れ、新たな黄金時代の幕を開ける。
諏訪魔、ドーリング急襲にあい小島にあっさり敗北
諏訪魔(左)に勝利した小島(右)は試合後、握手を求めたが、諏訪魔は拒否し控え室へと戻った 【写真:前島康人】
かつては全日本の看板エースであった小島だが、10年5月末に退団しフリーに転向。その際、諏訪魔は小島の決断について「逆境から逃げた」と痛烈批判をぶちまけた。だが、7年の時を経て、諏訪魔自ら「どうしてもやりたい、やらなきゃいけない相手がいる」と小島との対戦を熱望。小島の古巣参戦が実現する運びとなったが、発表直後に開催された新日本プロレスの「G1クライマックス」で、小島は1勝8敗とふがいない成績でフィニッシュ。大会直前に行われた記者会見では、諏訪魔が「G1で1勝しかしていない残念な先輩」と言い放てば、小島も「7年間で何も成長していない残念な後輩」と反論し、一触即発のピリピリムードが漂った。
そして迎えた大一番。先に入場した諏訪魔だが、突如、ドーリングに襲われ、ラリアット、パイルドライバーのエジキに。そこへガウン姿の小島が駆けつけ、試合開始となるも、首を痛めて精彩を欠く諏訪魔のキャプチュード、投げ捨てジャーマン、ラリアット、バックドロップでは決定打とはならず。小島が垂直落下式ブレーンバスターからラリアットを叩き込むと、あっさりと3カウントが叩かれた。
リング上で小島との握手を拒否した諏訪魔は、ノーコメントで控室に直行。7.18後楽園では石川の三冠ヘビー級王座に挑戦して敗れ、盟友であったドーリングからも手痛い裏切りにあうなど、袋小路に陥ったかつてのエースに、明るい出口は見えてくるのだろうか。そして、古巣の敷居をついにまたいだ小島が、次なるアクションを起こす時は来るのか。