監督たちが彩る夏の甲子園 うならされた采配、起用を振り返る

楊順行

神村学園・小田監督が見せた交代劇

京都成章を相手にサヨナラ勝ちを収めた神村学園・小田監督(写真左から2人目) 【写真は共同】

 打者途中での投手交代でびっくりさせたのは、神村学園(鹿児島)の小田大介監督だ。京都成章(京都)との1回戦、2対1とリードしての8回の守り。2死一、二塁で先発・青柳貴大が次打者に3ボール1ストライクとした場面で、中里琉星をリリーフに送る。小田監督はいう。

「打者の途中、しかも3−1からのリリーフは初めての経験です。ただ青柳はチェンジアップが浮き始め、中里は調子がよかったので決断できました。中里にはきつかったと思いますが、”その打者は歩かせてもいいよ”と。甲子園のマウンドで1球でも投げれば、心理的な重圧はだいぶ違うでしょうから」

 中里はその打者に織り込みずみの四球を与えて2死満塁とされたものの、次打者を打ち取ってピンチを脱した。そして神村は9回に追いつかれはしたが、その裏にサヨナラ勝ちを決めている。

 さらに、明豊(大分)との次戦。9回2死まで3点差をつけられながら、奇跡的な連打で追いつく粘りを見せた。結局延長12回に力尽き、逆転サヨナラ負けしたものの、「昨年の秋は鹿児島実に負けて九州大会にも出られず、その後に公立高校にも大敗したようなチーム。危機感をあおろうと、練習用の帽子を赤に変えたのはそのあとです。”甲子園へ赤信号”という意味でした。そのチームが……よく……ここまできてくれたものです」と小田監督は声を詰まらせる。

 ちなみにこの夏、鹿児島を制したあと、練習用の帽子は青色に変えた。あとは進むだけ、という意味だったそうだ。

坂井・川村監督、軟式出身ならではの作戦

川村監督が仕掛けたエンドランで2点適時打を放った坂井・山内 【写真は共同】

 もうひとつ采配でうなったのは、坂井(福井)の川村忠義監督だ。前身・春江工時代の13年にセンバツに出場したが、14年に県立4校が統合して坂井となり、夏は初出場。明豊との一戦は、点の取り合いとなった。

 1点を追う4回、坂井は1死三塁から走者がスタートを切る。スクイズと思わせたが、打者・吉川大翔は強攻。なんとなんと、ヒットエンドランだ。このときはファウルで実らなかったが、6回も1死二、三塁から同じ作戦を仕掛けると、打者・山内良太が見事に三遊間を破って2者をかえし、4対4の同点に追いついている。

 一時はリードを奪いながら、最後は6対7で敗れたが、「ウチらしい攻めで、リズムに乗っていけました」と川村監督。走者を三塁に置いてのエンドランは、奇襲に見えても、点の入りにくい軟式野球ではよく見られる得点パターンだ。2ストライクからも仕掛けられるから、スクイズよりリスクが低い利点もある。そして川村監督は、高校野球に転じる前、同じ福井県内の武生二中で軟式野球部を指導していた。

「ですから高校野球でも、いつかは実践したいとずっと考えていたんです。ただ春江工時代は、バットに当てる技術とか、それをやるだけの力が整っていなかった。ですがこのチームでは、日常からずっと練習していますし、自信を持つ作戦でした」

 なるほど、成功させた山内は「どんな球でも転がす自信がありました」。公立高校は09年以来、夏の甲子園で優勝どころか4強進出さえ途絶えている。坂井が仕掛けたこのヒットエンドラン、私学ほどの破壊力が期待しにくい公立にとって、大いに参考になるかもしれない。

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著者プロフィール

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。高校野球の春夏の甲子園取材は、2019年夏で57回を数える。

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