ジャパネット創業者がクラブ社長に J2・J3漫遊記 V・ファーレン長崎<後篇>

宇都宮徹壱

サポーターの心をわしづかみにした高田社長のトーク

試合前のトークイベントに出演した高田明社長。じゃんけん大会ではこの盛り上がり 【宇都宮徹壱】

「今季、われわれはJ1を目指します。V・ファーレンも大変でしたが、皆さんのおかげで元気を取り戻しつつあります。ここからさらに改善していくために、現状を分析しながら立て直していきます。ですので皆さん、どうかこれからも応援してください!」

「J1」を「ゼイワン」と発音する、独特の語り口。そして、見る者をうならせてやまない巧みな話術。今年4月25日にV・ファーレン長崎の社長に就任した、高田明である。「応援してください!」と訴えた直後、周囲から万雷の拍手が起こった。8月5日、トランスコスモススタジアム長崎で開催された、長崎対FC岐阜のキックオフ1時間前。会場のイベントスペースでは、高田社長をゲストに招いてのトークイベントが開催された。「あの高田社長を間近で見られる」ということで、この日は200人近いファンやサポーターが集結。その絶妙なトークに、皆の心がわしづかみにされているのは明らかだった。

 高田社長のトークは、まさに名人芸の域に達していると言えよう。およそ20分のイベントの間に、この試合から着用する「平和祈念ユニフォーム」の紹介、前回(第15節)の岐阜戦(4−4)の振り返り、セレッソ大阪から期限付き移籍した丸岡満への期待、そして諫早市の名物がうなぎであること(この日は「諫早市民みんなで応援DAY」だった)などなど、この日のトピックスがトークの中にまんべんなく組み込まれている。時にMCをいじってみたり、対戦相手のサポーターにも語りかけながら笑いを取るが、まったく嫌味が感じられない。テレビショッピングの出演で、アドリブに慣れているというのも確かにあるだろう。しかしそれ以上に、絶妙なバランス感覚と発信力の高さには刮目(かつもく)すべきものがある。

 Jリーグも開幕から四半世紀を迎え、クラブ数も54に増えたことで、さまざまなタイプの社長をわれわれは目にするようになった。親会社からの出向社長もいるにはいるが、今ではビジネス界での成功者や元Jリーガーの肩書を持つ社長も珍しくない。そんな中、ジャパネットたかたの創業者であり、誰もが一度はその甲高い声と若々しい容姿に接している高田社長(実は来年で古希を迎える)が、J2のいち地方クラブに“降臨”したことの意義は決して小さくはない。ではなぜ長崎は、高田新社長を迎えることとなったのか。そしてなぜジャパネットは、それまでのスポンサーという立ち位置を越えて、クラブの子会社化を決断するに至ったのか。高田社長へのインタビューを中心に振り返ることにしたい。

「ジャパネットが支えている」という安心感

クラブの経営危機を知り、「これは何とかしなければならない」と高田社長は決断する 【宇都宮徹壱】

 ジャパネットたかたのルーツをたどると、高田が実家のカメラ販売店から独立し、佐世保市に立ち上げた「株式会社たかた」にたどり着く。時は1986年。それからわずか29年で、一代で全国に知られる通販企業に成長させた。15年に長男に社長職を引き継いでからは、同社はさらに従業員数約2500人、売上高1783億円のビッグカンパニーへと成長を遂げている。高田は社長退任後、経営の第一線から退きテレビ出演や講演活動を実施。いかにユニークな経営者であったか、こうした経歴から見ても明らかであろう。そんな高田とV・ファーレン長崎との接点は、いつどこで生まれたのか。

「当社がV・ファーレンのスポンサーになったのは、JFLに上がった09年でした。当時の営業の方から依頼を受けた時、長崎生まれのジャパネットたかたですから『これもご縁かな』とお引き受けしました。私自身、スポーツは大好きです。するほうはあんまり得意ではないですけれど、見るほうだったらサッカーでもバレーでも相撲でも野球でもなんでも好き。スポーツは経営者としての学びがあるし、元気ももらえます。逆に(スポンサーを続けることによる)収益は考えていませんでしたね。サッカークラブのスポンサーになって、そこで収益を上げられると考える経営者なんて、いないんじゃないですか(笑)?」

 09年にJFLに昇格した長崎であったが、スタジアム案件が足かせとなっており、J2にたどり着くまで4シーズンの間、足踏みを余儀なくされることとなった。入場者数がなかなか増えず、地域の盛り上がりも欠く中、それでも見返りを求めずに支援を続けてくれたジャパネットは、クラブにとって非常にありがたい存在であった。単に収入面の問題だけでなく、「ジャパネットさんが支えているのなら」とスポンサーを続ける地元企業も少なくなかったからだ。

 ところがJ2に昇格してから5シーズン目を迎える今年1月、クラブに1億2000万円の赤字とおよそ3億円の累積赤字があることが発覚。さらに取締役の相次ぐ辞任と、Jリーグ本体による査察が重なり(前年よりコンプライアンスとガバナンスの問題を指摘する匿名の投書が再三届いていた)、スポンサーやサポーター、さらには現場の人間までもが不安を覚える状況が続いていた。高田にとっても、まさに寝耳に水の事態だったようだ。

「スポンサーとして、それまで億単位のお金を出していましたけれど、クラブの経営状態については知らなかったですね。それでも今年の1月に周りが騒ぎ出したこともあって、いろいろと情報を集めてみると(選手やスタッフの)給料も支払えないくらい切羽詰った状況だと。『これは何とかしなければならない』というのが、われわれの判断でした」

1/2ページ

著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント