中日・鈴木翔太、プロ4年目の開花 “しなやかさ”は伝説の左腕と同じ衝撃

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美しいタテ回転のストレートで勝負

5月9日のDeNA戦でプロ初勝利を挙げた中日・鈴木。これを皮切りに前半戦だけで5勝を挙げた 【写真=BBM】

 中日・鈴木翔太がプロ4年目でつかんだ初勝利は快進撃の序章に過ぎなかった。前半戦だけで5勝を挙げた若き右腕は、壁を乗り越えるごとにたくましさを増し、唯一無二の存在へと成長していく。

 カットボールやツーシーム……。直球系の動くボールが隆盛となる中、きれいなタテ回転で戦う。

 真っすぐこそ正義──。

 時代への挑戦? 反抗? 美しき本格派が、その片りんを見せた夜だった。しなやかな腕の振りから白球をはじく。スピンの効いた直球がミットに吸い込まれる。

 最速は144キロ。ただし、打者の体感はそれ以上。とらえ切れない打球がその事実を物語る。天から与えられた者にしか投げられないストレートが岐阜の雨空を輝かせた。

 5月9日の横浜DeNA戦(岐阜)。鈴木がプロ初勝利。輝かしい未来を予感させるピッチングだった。

 立ち上がりから快調だった。テンポ良く、スコアボードにゼロを並べた。4回2死一塁では筒香嘉智を外角直球で見逃し三振。侍ジャパンの主砲を相手にしてもひるまなかった。

 そして圧巻は5回。連打で無死一、二塁とされたが、高城俊人、代打・エリアン、倉本寿彦を3者連続空振り三振。直球とスライダーのコンビネーションがさえ、反撃の芽を摘み取った。

 その1週間前の広島戦(マツダ)では、あと1人で勝利の権利を手にするところから悪夢を見た。

「そのことも少しよぎった。前回は力んだので、落ち着いて腕をしっかり振ったことが良かった。勝てて良かった。4年かかりましたけど、これからもっとチームに貢献できるように頑張りたい」

 6回に2点を失い降板したが、9奪三振、無四球と堂々たる内容だった。これで勢いに乗ると、前半戦だけで5勝を挙げた。6月27日の阪神戦では、家族や知人らが見守る中、地元・浜松で白星を飾った。7回途中、3安打、1失点。お立ち台では熱いものが頬を伝った。

「今まで本当に何もできなかったので、何としても結果を残したかった。成長した姿を見せたかった」

 ルーキーイヤーのプロ入り初登板(2014年6月17日、埼玉西武戦)以来の地元。そのときは首脳陣の計らいもあり、中継ぎで1イニングを投げた。顔見せ的な意味合いが強かったが、今回は自らの手でつかみ取ったチャンス。前日は登板に備えて外出せずに宿舎にこもった。部屋では、昔から大事な試合の前には必ず食べていたという大好物の地元産うな重を二人前たいらげた。

「地元に帰ってきたなという気持ちになりました。本当に勝てて良かった」

 はにかむ笑顔が初々しい。低迷するチームの中で、前半戦の数少ない明るい話題になった。

自己負担200万円の莫大な自己投資

 ドラフト1位で入団してから4年。期待値に現実が追いつかない。まさに苦難の連続だった。2年目にウエスタン・リーグの開幕投手をつかんだが、その試合で打球を左ヒザに受けて骨折。その後も右手の中指の腱を痛めるなどアクシデントが続いた。

 そして……。昨年の春季キャンプを終え、名古屋に戻ってきた直後のことだった。息がつまるほどの痛みが胸に走った。

「心臓とか肺が破れたのかと思った」

 動けない。寝返りなんてもってのほか。「原因も分からない。不安だった」。野球どころではなかった。人生そのものがどうなってしまうのだろう──。そんな不安に襲われた。検査の結果、胸椎を痛めていたことが判明。治療は凝り固まった背中の筋肉をほぐすことから始まった。自分でも四六時中、背中を揉んだ。地道なリハビリとトレーニングを重ね、ようやく6月に実戦登板できるまでに回復した。先の見えない暗闇と向き合った時間は野球への欲求をかき立てた。

 復帰後はフォーム固めに専念。1軍登板なしの裏側で、高山郁夫2軍投手コーチと二人三脚で、テークバックを小さくし、腕のしなりを最大限に生かすフォームを追求した。

「腕をタテに強く振る。そのためにどうすれば良いかを考えた」

 ステップの幅を7歩半から1歩縮め、その分、上からたたきつけるようにした。130キロ台中盤に落ちていたスピードも回復。沖縄で行われた秋季キャンプのメンバーにも入り、過酷な日々を送った。

 特にこたえたのは“食トレ”。183センチの身長に対し、1年目の途中にはハードな練習でさらに細くなり、体重が60キロ台まで落ちたこともあった。同じく細身の佐藤優とともに、友利結投手コーチの“監視”の下、巨大茶わんで、白米をガツガツとかき込んだ。

 昼間のランニング量の多さから、参加した選手は「地獄のキャンプ」と口をそろえたが、鈴木は「走るよりも食べるのがキツかった」と今でも思い出したら表情が暗くなるほど。とにかくカロリーを摂取するため、時には米をフランスパンに替えた。「ずっと白米だったので、40センチくらいのフランスパンにバターを塗って食べたら新鮮で食べられた」。

 終わりなき夕飯タイム。涙目になっても食べて食べて食べまくった。その結果、体重は78キロまで増えた。「さすがに自分でも重いと感じたので2キロ減らして今は76キロです。動けるし、今がちょうどいい」。 一回りも二回りも大きくなった体とともに力強さを増した直球は、視察に訪れた森繁和新監督の目にとまり、春季キャンプの1軍スタートが決まった。

 そしてオフの契約更改。限度額いっぱいの25パーセント減の450万円でサインした。1年目に720万円だった年俸は、支配下最低年俸の420万円に限りなく近いところまで落ちた(金額は推定)。

「もう後がない」。個人トレーナーと年間契約し、1月の自主トレはオーストラリアで行うことを決断。2人分の滞在費を含め、かかった経費は全部でおよそ200万円。年俸を考えると、莫大な自己投資だ。

「自分のためにお金を使わないと。普段、ほとんど出歩かないですしね」

 すべてを野球に懸ける。その思いがようやく形となって表れつつある。

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