新垣渚が振り返る“怪物”松坂大輔 「ダイスケと対戦して、目標ができた」

週刊ベースボールONLINE

横浜との再戦を思い描くも……

春夏ともに甲子園1回戦敗退。横浜高との再戦は実現せず、新垣の高校時代は幕を閉じた 【写真=BBM】

 神宮大会、センバツ、選手権すべてで優勝した横浜は伝説のチームで、それを成し遂げたのが松坂大輔だった。しかし、新垣渚を擁す沖縄水産も九州大会秋春連覇、神宮大会準優勝、春夏甲子園出場と高勝率を誇った。

 今思い返せば高校で野球をやったのも縁があったからです。本当は兄の影響もあってボクシングをやるつもりで、スポーツ推薦である高校に進む確約を得ていました。リーチが長いですからね。でも、恥ずかしい話ですが、その書類の提出を忘れてしまったんです。受験してその高校に入学するのは難しい。それでやはり野球かと。ならば沖縄水産だろうと。

 沖縄水産の練習と言えば、ウエート・トレーニングです。僕はランニングを控えなければならなかった分、ウエートでカバーしなければなりませんでした。2年生の冬場のトレーニングがうまく合って、春のセンバツで147キロが出ましたし、その後150キロに届いたんだと思います。

 ただ、春も夏も甲子園では1回戦で敗退。横浜との再戦はなりませんでした。組み合わせが決まったとき、どこまで勝ち上がれば横浜と対戦できるかは、一番に考えたポイントです。春は決勝、夏は準決勝で当たる計算で、監督の起用にも横浜への意識を感じる点はありました。当時は僕と宮里康の2人が交互に先発するのがパターンでした。相手との相性を考えながらでしょうけど、春夏とも横浜戦で僕が先発する順番になるように、1回戦は宮里が先発しています。そして、いずれも1回戦敗退。想定していなかった結果です。

 夏の敗退は3回途中からリリーフした僕が大島裕行(元埼玉西武)に逆転2ランを打たれたものです。振り返ってみれば組み合わせのすごいブロックにいたんです。埼玉栄には大島、佐賀学園には実松一成(巨人)、PL学園には田中一徳(元横浜)、大西宏明(元近鉄ほか)、鹿児島実には杉内俊哉(巨人)とプロに進んだ選手がたくさんいて、横浜と対戦するためにもそれらの相手を倒さなければならなかった。とにかくこの山を勝ち上がることだけを考えていたことを覚えています。

 だから、負けたときは茫然自失。戻れないですけど、ホームランを打たれた1球はものすごい後悔として残っています。1球の怖さを知った、悔やんでも悔やみ切れない試合。埼玉栄に勝って、佐賀学園、PL学園、横浜……そこまで思い描いていたんですけどね。

 ただ、考えてみれば幸せな高校野球生活でした。秋の九州大会をきっかけに注目してもらえるようになって、一気に環境が変わりました。2年春にまた右足を骨折して、一度は野球をやめることを考えたこともあります。そこからスタートして2ケタの背番号をもらえるようになって、頑張ったことが結果として出てくるようにもなりました。いつチャンスが来るかは分からない。地道に続けることの大切さを知りました。それができたのも目標となる存在がいたからです。

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