シニア1年目のような勢いと無欲さで 本郷理華が挑む「初の五輪シーズン」

長谷川仁美

苦しむ中で痛感した「自信」の大切さ

ケガの影響もあった16−17シーズンは低調な出来に終始。それでも得たものもあった 【写真:Enrico Calderoni/アフロスポーツ】

 翌16−17シーズンは、オフから痛みを感じていた左足首の骨挫傷のため、追い込み切れないままシーズン入り。序盤戦から思うような演技ができないまま、16年末の全日本選手権に向かうことになった。そのショートで、本郷は彼女らしいダイナミックさに加えて、大人の女性の妖艶さを感じさせる『カルミナ・ブラーナ』を披露し、2位発進。久しぶりに清々しい笑顔を見せた。ただ、前シーズンの『リバーダンス』に戻したフリーではジャンプのミスが重なり、総合5位に。代表選手としての国際大会への派遣は冬季アジア大会のみとなった。

 しかし年が明けてから、左股関節の疲労骨折で欠場することになった宮原知子(関西大)に代わり、四大陸選手権と世界選手権への出場が決まる。

 ケガの影響もあり、四大陸選手権は10位、世界選手権は16位という結果だった。だが、本郷は「短期間での準備にもかかわらず、(世界選手権の)ショートで大きなミスなくできたことは少し自信になりました。それまでの試合ではミスがあったけど、『今回は今回だ』と切り替えてできたので、そういうところは学べたと思います」と前向きに捉えた。

 そして、こうした経験を通して得たものもあった。

「調子の良くないシーズンでも、自信を持てるくらいまで練習をすれば、試合にも自信を持って臨めるのかなと思いました。(演技が)良くなってきている手応えも少しあったので、練習から自信を持てるように頑張りたいです」

さまざまな経験を積んだ今だからこそ

今季は五輪出場が懸かるシーズン。シニア1年目のように勢いと無欲で臨むことができるか 【坂本清】

 勢いに乗ったシーズン、精神的な苦しさを最後に笑顔で乗り越えたシーズン、そして、ケガの影響で悔しさを味わい続けたシーズンを経て迎える今季。ショートには昨季に引き続き『カルミナ・ブラーナ』を、フリーには『フリーダ』を選んだ。

「五輪は小さい時からずっと出たいと思っていて、シニアに上がってからは目標としてきました。あと少しの時間でできることをすべてやって、達成できるようにしたいです」

 4季前の五輪シーズン時はまだジュニアで、戦いの只中にはいなかった。だが、五輪選考の全日本選手権には出場し、あの、ひりひりするような緊迫感を肌で味わっている。大学3年で迎える、五輪出場が懸かる初めてのシーズン。さまざまな経験を積んだ今だからこそ、シニア1年目のような勢いと無欲、そして持ち前の明るさで、正念場のシーズンを笑顔で駆け抜けたい。

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著者プロフィール

静岡市生まれ。大学卒業後、NHKディレクター、編集プロダクションのコピーライターを経て、ライターに。2002年からフィギュアスケートの取材を始める。フィギュアスケート観戦は、伊藤みどりさんのフリーの演技に感激した1992年アルベールビル五輪から。男女シングルだけでなくペアやアイスダンスも国内外選手問わず広く取材。国内の小さな大会観戦もかなり好き。自分でもスケートを、と何度かトライしては挫折を繰り返している。『フィギュアスケートLife』などに寄稿。

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