コンフェデ杯の成功が隠したW杯への不安 懸念はプレ大会を経験していない7都市
魅力的だったサンクトペテルブルク
コンフェデ杯決勝が行われたサンクトペテルブルク 【Getty Images】
私は決勝戦が終わっても、この地に10日間ほどとどまり続けた。真夜中の1時15分からエルミタージュ美術館近くの“宮殿橋”がクラシックの音色とともに上がっていくショーは、世界中から集まる観光客にとって決して見逃せない。私は毎晩、サンクトペテルブルクの白夜を見上げ、この季節に星は見えないことを知った。
サンクトペテルブルクは24時間、眠らない町だった。跳ね橋のショーを堪能してから3キロ離れたホステルへ戻る途中も、決して人々の往来が途絶えることはなく、カフェやバーは夜更かしを楽しむ客でいっぱいだった。
暑くもなく、寒くもないこの季節はスポーツに適したコンディションなのだろう。コンフェデ杯決勝戦の1週間後にはエルミタージュ美術館前の宮殿広場をゴールとするマラソン大会が開かれていた。
ドミトリーのホステルで同宿したロシア人に、私は「サンクトペテルブルクは、まるで東京のようだ。ずっと町が人でにぎわっている」と言った。すると彼は「いや、東京はモダンシティー。ここ、サンクトペテルブルクは18世紀、19世紀の町並みと、現代人が共存している、ロシアの中でもちょっと不思議な町なんだ」と解説してくれた。来年のワールドカップ(W杯)で、また戻ってきたい町だった。
4年前よりもスムーズなオーガニゼーション
4年前、ブラジルで開かれたコンフェデ杯はチケットの受け取り、町とスタジアムの移動で大混乱が起こり、多くのデモに出くわした。ブラジルと日本が開幕戦を戦ったブラジリアのスタジアムのすぐ外ではデモ隊と機動隊が衝突し、私もその恐怖に怯えた。それと比べると、今回のコンフェデ杯はオーガニゼーションがスムーズで、ストレスをあまり抱えることなく取材することができた。
問題はコンフェデ杯が開催されなかった7都市
コンフェデ杯が行われた4都市は世界大会の開催に慣れている 【Getty Images】
地下鉄の駅のホームに張ってあるステッカーに沿っていけば、乗り換えを間違えることなくスパルタク・スタジアムに着く。スタジアムはコンコースが広々としており、試合後の大観衆をあっという間に外へ出すことができる。スタジアム周りも広々としており、観戦後の客はあまり混み合うことなく帰っていった。このようなモスクワでのオペレーションを見ると、「モスクワ、サンクトペテルブルクは日常的にビッグイベントを経験している。カザンはユニバーと世界水泳、ソチは冬季五輪とスポーツイベントのノウハウを持っている。今回のコンフェデ杯は『成功して当たり前』だな」と私は感じていたのだ。
しかし、「このコンフェデ杯はプレW杯としては参考にならないな」とも感づいていた。コンフェデ杯ぐらいの規模の大会なら、今回の4都市が開催を成功させて当たり前。むしろ、その他の7都市の方が、コンフェデ杯を必要としていたのではないか。だが、それははなから不可能だった。7都市の関係者にそれぞれ話を聞いたところ、「スタジアムの完成は12月になる」と判を押したように答えが返ってきたのである。