異文化が共存する寛容の街 コンフェデ杯都市探訪<カザン篇>

宇都宮徹壱

タタールスタン共和国の首都・カザン

カザン・アリーナの前で記念撮影するチリのサポーター。今大会、最も目立つ存在だ 【宇都宮徹壱】

「チチチ! レレレ! ビバ・チレ!!」
 ワールドカップ(W杯)でおなじみのチリ・サポーターの掛け声が発せられたのは、モスクワ発カザン行きの国内便が、かなり乱暴なランディングでカザン国際空港に到着した直後のことであった。機内の乗客の半分弱はチリ人で、着陸成功と同時に自然発生的に「ビバ・チレ!」と相成った。この日(現地時間6月22日)、南米チャンピオンとしてFIFAコンフェデレーションズカップ・ロシア2017(以下、コンフェデ杯)に出場しているチリは、W杯優勝国であるドイツとカザンで対戦する。ホスト国のロシア、そして欧州チャンピオンであるポルトガルと同様、チリは今大会がコンフェデ杯初参加。今大会、最もモチベーションが高いのは、実は彼らなのかもしれない。

 そんな彼らがやって来たカザンは、ロシア連邦タタールスタン共和国の首都で、人口は約110万人。街中では、白・青・赤のロシア国旗と、緑と赤の間に白いラインが入ったタタールスタンの国旗が並んで掲げられているのをよく目にする。タタールスタンの人口のおよそ半分はタタール人で占められており、ロシア語とタタール語が公用語。かつてこの地に暮らしていたヴォルガ・ブルガール人はトルコ系の民族であり、タタール語もトルコ語との類似性が強い。

 イスラム教を受け入れたのは、ヴォルガ・ブルガールが独自の国家を形成していた10世紀のこと。その後モンゴル帝国やモスクワ大公国(のちにロシア〜ソ連)の支配を受けるも、独自の言語と宗教は今も受け継がれている。もっともタタールのイスラムは厳格なものではなく、ラマダン(断食月)の期間中でも普通に食事を摂る人も多い。いい意味でゆるく、寛容さに満ちているのが特徴だ。

 エキゾチックな雰囲気が漂うカザンの街を散策したい気分だが、すぐスタジアムに向かわなければならない。会場のカザン・アリーナは中心街からかなり離れており、しかも1本しかないメトロから直接アクセスすることができない。そのため観客は、必然的にバスを利用することになる。初めて現地を訪れる外国人には、いささかハードルが高く感じられるかもしれないが、Googleマップに「Kazan Arena」と打ち込めば、現在地からの適切なルートと利用するバスの路線番号が正確に出てくる。バスに乗ってしまえば、チケット売りのおばさんが近づいてくるので運賃25ルーブル(約50円=距離に関係なく一律)を支払う。スタジアム周辺は車両がシャットアウトされるため、観客は途中でバスから下車して20分ほど歩くことになる。カザンでは常に余裕をもって行動することが肝要だ。

カザンのクレムリンで感じたコスモポリタニズム

クレムリンのクル=シャーリフ・モスクにて。カザンは多様性と寛容さに満ちている 【宇都宮徹壱】

 カザンでのドイツ対チリの試合は1−1のドローに終わった。グループリーグは2巡目を終えて、グループ首位のメキシコ(グループA)とチリ(グループB)がそれぞれ勝ち点4。この時点でグループ突破を決めたチームはなく、2敗したグループAのニュージーランドを除くすべてのチームに準決勝進出のチャンスがあるという混戦模様となった。

 カザン到着翌日の23日はノーゲームの日となったため、久々に観光に充てることにする。案内をお願いしたのは、生まれも育ちもカザンというタタール美人のアリーナさん。92年生まれで現在24歳、つまり、ソビエト連邦の時代をまったく知らない世代である(ソ連崩壊は91年12月)。地元のカザン大学で日本語を学び、現在は同大学院で日本語の研究をしながら後進の指導に当たっているそうだ。学部こそ違うものの、あのレーニンやトルストイは彼女の「先輩」ということになる。

 さて、カザンで一番の観光名所といえば、何と言ってもクレムリンである。「クレムリン」というと、モスクワの赤の広場をまず思い浮かべるだろうが、もともとはロシア語の「クレムリ(城塞)」が語源で、モスクワやカザンのほかにもニジニ・ノヴゴロドやアストラハンのクレムリンが有名。カザンのクレムリンは赤ではなく、全体的に白で統一されている。

「クレムリンにはモスクとオーソドックス(正教)の聖堂があるんですよ」とアリーナさん。調べてみたら、イスラム教のモスクはクル=シャーリフ・モスク、ロシア正教の聖堂はブラゴヴェシェンスキー大聖堂という。前者は16世紀にイワン雷帝によって、後者はロシア革命後にソビエト政府によって破壊されたが、いずれもソ連崩壊後に再建されて今に至っている。2000年には、ユネスコの世界遺産にも指定された。

 モスクも大聖堂も、内部の見学は自由。特にモスクに関しては、異教徒の立ち入りを認めない施設が少なくない中、こちらは非常にオープンな空気に包まれている。アリーナさんによれば「カザンでは、異文化や宗教に対して寛容なんです。オーソドックスでもイスラムでも、タタール人でもロシア人でも、壁を感じることはありません」とのこと。

 今や世界中を覆い尽くそうとしている、異文化への不寛容。そして憎しみの連鎖からどんどん先鋭化していく、宗教間や民族間の対立。そんな中、カザンの人々のコスモポリタニズムは、何やら現代の奇跡のようにも思えてしまう。クレムリンを2時間ほど散策しただけで、私はすっかりカザンのファンになってしまった。日本が無事にW杯予選を突破したら、ぜひこの街で試合をしてほしいと密かに願う次第だ。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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