目標をクリアした雄平が目指す「進化」〜燕軍戦記2017〜

菊田康彦

則本から4安打も…

6月15日、プロ初完投勝利を挙げた原樹理(右端)とともにお立ち台に上った雄平 【写真は共同】

「全然ダメでした…」

 東京ヤクルトの雄平が、その人懐っこい笑顔とともに思いもよらぬ言葉を口にしたのは、6月15日の試合後のことだった。その日、ヤクルトは東北楽天の絶対的エース、則本昂大を攻略。日本記録更新中の連続2ケタ奪三振を8試合で止め、6対2で大金星を挙げていた。

 この試合で決勝の2点二塁打を放つなど4安打の活躍で、プロ初完投勝利の原樹理と一緒にお立ち台に上がったのが、ほかならぬ雄平である。だが、彼が「ダメでした」と話したのにはわけがあった。

「もちろん結果には満足してます。則本からまさかの4安打ですから。チームも勝ったし、そこは大満足なんですけど……」

 川端慎吾、畠山和洋、ウラディミール・バレンティンといった主軸のバッターを故障で欠くヤクルトにあって、ここまで山田哲人とともに全試合に出場。5月5日以降はほぼ一貫して4番に座り、打率3割2分2厘はセ・リーグ第5位。それでも雄平は、もがいている。

「芯で捉えきれてないんですよ。理想は自分のスイング、素振りでするようなスイングを試合ですることなんですけど、相手のピッチャーは崩してきますからね。自分のスイングで打てる数をもっと増やさないと、長打も増えないんで」

 チームで唯一、打率を3割に乗せ、得点圏打率3割3分9厘とチャンスでもよく打っているが、本塁打はここまでわずか2本。真中満監督も「良くやっているという前提で」としながらも「レフトにもセンターにもホームランを打つ力があるのに、それを生かし切れていないのがもったいない」と話す。

「がむしゃらに」やりベストナイン

 2014年にはリーグ6位の打率3割1分6厘に加え、23本塁打、90打点という堂々たる成績を残したことを思えば、一発という点では物足りなさを感じる。あの頃の雄平の代名詞は「フルスイング」。しかし、本人は「あれはあれでがむしゃらにやっていただけなんで、(理想とは)ちょっと違うかな」と振り返る。

 フルスイングでなくても、無駄な動きを減らして芯に当てれば打球は飛んでいくし、確実性も上がる──。

「もちろん強くは振らないといけないんですけど、練習で飛距離が変わってるかっていったら変わってないんですよね。ということは(フルスイングでなくても)ホームランは打てるわけなんですよ。やっぱり進化していかないと生きていけないし、成績も残らない。数字的には後退しているように見えるかもしれないですけど、野球を突き詰めているというか、もう一度あの時(14年)のような成績を残すための道だと思ってやっています」

 もともとは投手としてドラフト1巡目でヤクルトに入団し、通算18勝を挙げた雄平が野手転向を決断したのは、09年のオフのこと。プロ7年目のシーズンを終え、既に25歳になっていた。野手1年目はファーム暮らし。投手としての自分と決別し、野手として生まれ変わるため、11年には登録名を本名の高井雄平から「雄平」に変更。この年、初めて野手として1軍登録を果たすと、翌12年は終盤に「1番・センター」に定着し、チームのクライマックスシリーズ出場に貢献した。

 13年は順調なスタートを切りながら、4月半ばに右ひざ前十靭帯を断裂し、再建手術を受けて残りのシーズンを棒に振った。それでも長いリハビリに耐え、翌14年は前述の好成績でベストナインを獲得。投手として通算10勝以上した選手がシーズン20本塁打をクリアするのは、長いプロ野球の歴史でも4人目の快挙だった。

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著者プロフィール

静岡県出身。地方公務員、英会話講師などを経てライターに。メジャーリーグに精通し、2004〜08年はスカパー!MLB中継、16〜17年はスポナビライブMLBに出演。30年を超えるスワローズ・ウォッチャーでもある。著書に『燕軍戦記 スワローズ、14年ぶり優勝への軌跡』(カンゼン)。編集協力に『石川雅規のピッチングバイブル』(ベースボール・マガジン社)、『東京ヤクルトスワローズ語録集 燕之書』(セブン&アイ出版)。

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