自滅的なドローに終わったイラク戦 日本を苦しめた猛暑と「3つの誤算」
イラクがイランでホームゲームを開催する理由
イラクにとってイランでのホームゲーム開催は心理的なアドバンテージとなっている 【写真:ロイター/アフロ】
6月13日のイラク戦のツアー客をアテンドするイラン人のガイドは、流ちょうな日本語でそう語っていた。イランとサウジとの確執は中東世界ではつとに有名だが、その歴史は1400年に及ぶという。ムハンマドの教えがスンニ派とシーア派に分裂した7世紀以降、アラブ世界の盟主を自認するサウジアラビア(スンニ派)と、ペルシャ帝国の末裔(まつえい)としての大国意識を持つイラン(シーア派)との対立の構図はずっと続いている。
イラクが今回の最終予選で、ホーム2戦目からテヘランでホームゲームを行うのも、実のところ宗教的なつながりが背景にあるのかもしれない。イラン・イラク戦争(1980〜88年)のイメージから、両国は仲が悪いというイメージを日本人は抱きがちだが、実はイラクもまたシーア派の人口が6割近くを占めている(サダム・フセイン政権下では、少数派のスンニ派が多数派のシーア派を支配していた)。
イラクにとってイランでのホームゲーム開催は、隣国であることに加えて「シーア派のホームグラウンド」であるイランで戦えることも、実は心理的なアドバンテージとなっているようだ。最終予選の最初の「ホームゲーム」はマレーシアで行われ、この時はサウジに1−2と敗れている。ところがホーム開催をテヘランに移してからは、タイに4−0、オーストラリアに1−1と負け知らず。そういう意味で、テヘランは単なる中立地ではなく、限りなくイラクのホームに近いと考えたほうがよさそうだ。
余談ながら、中東地域におけるイランとサウジの対立の構図は、最近もさまざまな形で露出してニュースをにぎわせている。先日、サウジを含む6カ国がカタールとの国交断交を一方的に宣言したが、これに対してイランが経済的に孤立したカタールに生鮮食品の空輸を開始したとの報道があった。カタールへの兵糧(ひょうろう)攻めに関しては、同国とイランとの親密な関係に対するサウジの不信感が根底にあったとされる(すでにイランに対しては、昨年1月に国交を断行)。イランの人々が日本に「サウジを蹴落としてほしい」と願うのは、実のところそういった国際情勢も背景にはあったのである。
猛暑の中での戦いはなぜ断行されたのか?
日本はシリア戦までの4−3−3からいつもの4−2−3−1にフォーメーションを戻した 【写真:ロイター/アフロ】
同日に行われるシリア対中国(マレーシア開催)が21時45分、カタール対韓国が22時、タイ対UAEが19時キックオフである。他会場と比べると、イラク対日本のキックオフが16時55分というのは、いかにも不自然だ。ナイトゲームにならなかった理由については「シャヒード・ダストゲルディ・スタジアム(通称、パス・スタジアム)の照明設備に問題があるため」という報道を目にした。調べてみると、確かにタイ戦もオーストラリア戦もそれぞれ16時台にキックオフとなっていた。とはいえ、10月や3月ならまだしも、6月での日中キックオフがプレーヤーに計り知れないダメージを与えることは容易に想像できたはず。だからこそ「もう少し何とかならなかったのか」という思いは募るばかりだ。
現地での環境順応については、先のシリア戦を1日前倒しで設定し、その分テヘランでのトレーニングに充てるなど、やれることはすべてやったという感が強い。では、けが人が続出する中でのスターティングメンバー、とりわけ中盤の構成についてはどう対処するのか。試合前日の会見で、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督は「他のソリューションを探すというトライをする必要がある」としながらも、「ここ最近はタクティクス面で素晴らしいトレーニングができたし、いいものがグラウンドで見られた」と語っている。その表情は、どこか楽観めいたものが感じられていたので、問題解決に向けて一定の手応えをつかんだものと思われる。指揮官が選んだ11人は以下の通り。
GKは川島永嗣。DFは右から、酒井宏樹、吉田麻也、昌子源、長友佑都。中盤は守備的な位置に井手口陽介と遠藤航、右に本田圭佑、左に久保裕也、トップ下に原口元気。そしてワントップに大迫勇也。シリア戦までの4−3−3からいつもの4−2−3−1にフォーメーションを戻し、中盤の底にはキャップ数7の遠藤と同1の井手口というフレッシュな顔ぶれが並び、本田と久保がスタメンで名を連ねた。なおキャプテンマークは、この日が31回目の誕生日となる本田の左腕に巻かれることとなった。