宮里藍「これ以上ないゴルフ人生」 引退会見 一問一答

スポーツナビ

エビアンまでは米国ツアーに出場予定

――2003年にアマチュアで優勝して、その年の秋にプロ宣言して14年が経った。どんな14年だった?

 思っていた以上の結果というか、自分としてはこれ以上ないゴルフ人生だったと思っています。競技者としても引退を表明してから、自分が(現役を)終えるという引き際の寂しさよりも、これだけたくさんの方にサポートしていただけて、感謝の気持ちを胸に今シーズンを戦えることは選手としてすごく幸せなことだと思うので、今の気持ちの表れが、この14年間どれだけ幸せな時間だったかということを今、かみ締めている感じですね。

――引退を告げてから高校の後輩や、日本・米国で戦ってきた仲間からはどんな言葉が寄せられている?

 まずは「お疲れさま」と声をかけていただいて、後輩からも「寂しい」という言葉もあったりしたんですけれど、後輩も私の先輩も、友人や家族も含めてみんな決めたことを支持してくれたというか、温かく受け入れてくれたので私にとってはすごくありがたかったです。

――小さい頃からずっと寄り添ってきた父・優さん、母・豊子さんにはいつ、どのように伝えた?

 昨シーズンのエビアンマスターズを終えて、2人には話しました。本当に驚きもなく、温かく受け入れてくれたので、「自分が幸せと思う道を行きなさい」と言ってくれたのは本当にうれしかったですし、兄二人も同じような形で受け入れてくれたので、それはすごくうれしかったです。

――今後の予定は? どの試合に出て幕を引きたい?

 今のところそこはまだ決めていないのが現状です。1試合1試合丁寧にプレーをして、早く勝ちたいというところに目標を置いているので、最後の試合は、確実にこれというものは決めていないのが現状。ただ、米国ツアーに戻って、メジャーは全部出たいなと思っているので、エビアンマスターズ(9月14日開幕/フランス・エビアン・リゾートGC)までは米国ツアーはしっかり出るつもりでいます。

――ファンの方は「藍ちゃん、日本国内でどこで見られるの?」と思っていると思います。

 できるだけ自分がプレーできるチャンスがあればしたいなと思っていますが、来週のサントリーレディス(6月8日開幕/兵庫・六甲国際ゴルフ倶楽部)が、最後というよりは、今のところとりあえずそこで一区切りおいて、エビアン(マスターズ)まで戦ってみて、後はどうかなという流れでいこうと思っています。

引退後については未定 結婚の予定も「今のところないですね」

――第二の人生について。引退した後の予定は?

 そこも具体的にはまだ決まっていないのが現状なんですけれど、引退する上ではそこの狭間でもすごく悩んだというか。次に自分がどういう風にしていきたいのかというのが確約ないと引退はできないとずっと思っていました。でも、逆に一度現役の視点を外れてみたら、自分が次に何ができるかという可能性の広がり方も違ってくるんじゃないかなと思えていたので。本当に年内は自分にあるエネルギーをすべて今シーズンの残りの試合に注いで、それからちょっとゆっくりして、自分に何ができるかをあらためて考えていきたいなと思っています。

――近々結婚の予定は?

 それは今のところはないですね、すみません。

――子どもができたらゴルフは勧めるか?

 こういう環境なので、ゴルフをまったくさせないということにはならないとは思うんですけれど、もし一緒に遊ぶような感じであればやってみたいなと思います。

――一つの時代を築いてきた宮里選手から、これからを支えていく若手に伝えたい思いは?

 数少ないチャンスではありましたが、何人かの、一回りくらい年齢が違う若い選手たちと日本の試合でも一緒に回る機会がありました。今は本当にゴルフがうまい選手が多いというか、技術的にもフィジカル的にも恵まれている選手が本当にたくさんいて、これからが楽しみだなと思う選手が周りにはたくさんいたので、私もそこから刺激をもらっていました。米国ツアーをやっていて、日本女子ゴルフ界というのはすごく良い環境にあると思います。客観的に見れている分、危機感もあるというか、これが永遠に続くわけではないと思うので、若い選手にはプロ意識を持って、支えてくださる方々に感謝の気持ちがあればずっと続いていくんじゃないかなと個人的には思っています。もちろん、皆さんそれはできていると思うんですけれども、年齢を重ねるごとに難しくなることも多々あると思いますし、その軸をぶらさずにやれればいいなと思います。

――宮里選手はまだ「藍ちゃん」と呼ばれている頃から、マスコミにもスポンサーにも真摯に、誠実に向き合ってきた。意識的に心がけていたのか?

 そこまで深く自分の中ではあまり意識したことではなかったのですが、常々父からは「プロゴルファーである前にちゃんと普通の人でありなさい」と言われて育ってきたので、自分なりにみなさんには誠意をお伝えしてきたつもりです。それが本当に良い形になっているのであれば、それは父の教えが良かったのではないかなと思います。

世界で戦えた理由はメンタル面とショットと小技の精度

活躍できた要因を「自分自身と向き合えたこと」と語る宮里。体格差というハンデがありながらも、自分のスタイルを確立して世界ランク1位にもたどり着いた 【スポーツナビ】

――プロになって15年、一番思い出に残っている試合や、印象に残っているショットは?

 アマチュアで勝ったミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープン(03年9月)は自分の中でも本当にターニングポイントになった試合で、あの試合なくして、今の自分はないです。米国ツアーではやはりエビアンオープンの初優勝(09年7月)が記憶に残っていて、4年かかってもぎ取った優勝だったので、自分の中でもすごく達成感がありました。また、ちょうどその前にドライバーのスランプもあったので、プレーオフの18番のティーショットというのは、そのスランプを乗り越えた一瞬だったと思うので、そのショットはよく覚えています。

――日米で勝利をあげ、世界ランク1位にもなった。活躍できた要因は自分でどう考えている?

 自分自身と向き合えたことだったんじゃないかなと思っています。私は米国ツアーでは小柄な方で、パワーもあまりないです。ただそこを、自分の中でショットの精度と小技で勝負するというところで、さらにメンタルトレーニングも加わって、それが土台になって戦えたんじゃないかなと思っています。そこがゴルフの良いところというか、必ずしも体格の差がハンデになるわけじゃなくて、自分自身をしっかりコントロールして、自分のゴルフを信じるというところで私はここまでできたのだと思います。逆に言えば、私ができたので、これからもっともっといろいろな選手ができるのではないかなと思います。

――引退を決めるにあたって、影響を受けた人物やかけられた言葉は?

 誰にも話していなかったので、本当に自分自身で決めたことでした。引退を発表してからロレーナ(・オチョア/メキシコ、元世界ランキング1位、10年に引退)にメールをもらったのですが、逆にまた今後、彼女の意見がすごく参考になったり、自分がゴルフに携わっていく上でどうしたら良いのかアドバイスを求めることが増えるんじゃないかなと思います。

――2020年にはゴルフも実施される東京五輪があるが、携わってみたいという気持ちは?

 今はちょっと考えられないというか、今シーズンの残りの試合に全力を注ぎたいと思っているので、正直その先のことはまだ頭にないです。でも何か私にできることがもしあるのであれば、積極的にやらせていただきたいと思っています。

――第2の人生の拠点は日本? 米国?

 その辺もまだ全然決まっていないですね。逆に言えばまだ決めていないという言い方もできるんですけれども、今回いろいろ自分の中で決断するにあたって、物事を先に決めることが自分を苦しくしてしまうと思ったので、あえてそこは決めずに、今シーズンいっぱい頑張ってやり抜いた先にある自分の思いを大事にしていきたいなと思っています。元々選手としても感覚派なんですけれども、終わってみて自分の感覚に正直に生きていけたらいいなと思います。

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