宮里藍「これ以上ないゴルフ人生」 引退会見 一問一答
引退会見で涙を浮かべた宮里藍。決断を下した理由、ゴルフへの思い、周囲への感謝などについて語った 【写真:ロイター/アフロ】
3日前の発表から今日まで、「自分が思っているよりも本当にたくさんの方から反響があり、自分でも驚いている」と語った宮里。この日も多くの報道陣が、日本ゴルフ界の一時代を築いた“藍ちゃん”の生の声を聞かんと詰め掛けた。
引退を決意したのは昨年の夏ごろ。4、5年前から「モチベーションの維持が難しくなった」ことが一番の決め手で、「トレーニングでも追い込めなくなってしまい、それが自分が望んでいる形ではなかった。プロであるからには結果は残したいですし、自分が求めている理想の形がそこになかったので、引退を決めた」と説明した。
今後の活動についてはまだ決まっておらず、まずは今シーズン残りの試合に集中していくことになる。最後のあいさつでは、涙で言葉に詰まるシーンもあったが、「約15年間プロの選手としてここまでプレーをしてきて、本当にたくさんの方にサポートしてもらえたことはうれしかったですし、選手として幸せだったなと思います。残りシーズンも頑張っていきますので、もう少しよろしくお願いいたします」と感謝の気持ちと、残りのシーズンへの意気込みを伝えた。
以下は、宮里のあいさつと質疑応答。
引退の理由は「モチベーションの維持が難しくなった」
引退する決め手になったのは「モチベーションの維持が難しかった」こと。4、5年前から葛藤を抱いていたという 【スポーツナビ】
――公の場で引退を表明した今の気持ちは?
まだシーズンが残っていて、正直、自分の気持ちとしてはまだまだこれから頑張りたいという気持ちなので、実のところ、まだこれで終わりという気持ちではないです。ですが、スポンサーをはじめ、ファンの方や友人などたくさんの方に声をかけていただいて、今はすごく胸がいっぱいです。
――昨年夏ごろに決めたという引退の理由は?
モチベーションの維持が難しくなったというのが一番の決め手です。モチベーションの維持が難しくなったと感じたのが4、5年前でした。自分の中でもそこをどういう風に消化していけばいいのか、手探りで進むしかなかったのですが、メンタルコーチにも相談して「いろいろ選手にもそういう時期はあるから、もう少し頑張ってみたらいいんじゃない?」ということで、チームでもそれで話がまとまって、自分の中でモチベーションを戻せるように努力をしてみようという感じで、ここ4年ぐらい頑張ってきました。
ですが、やはりその辺りが戻ってこないことには自分とは向き合えないですし、今までやれていた練習ができなかったり、トレーニングでも追い込めなくなってしまっていたので、自分が望んでいる形ではなかったというか。プロであるからには結果は残したいですし、自分が求めている理想の形はそこにはなかったので、こういう形で引退を決めました。
「休養」という選択肢はなかった
いつか電撃復帰する可能性については否定。「もっといろいろなことができる可能性もあるんじゃないか」と語る 【スポーツナビ】
本当に思わぬ形で世界ナンバーワンになれたということも大きかったかなとは思っています。もちろん、メジャーに出場するチャンスはまだ残っているので、そこは諦めていないですし、逆に今、今年いっぱいという期間を設けたことで自分が頑張れているというのが現状です。皆さんに最後、勝って終わりたいという気持ちで今、逆にすごくモチベーションがあるというか。年内のチャンスは一試合でも多く生かしていきたいと思っています。
――先日、最終日に6連続バーディーを含む「64」をマークされました(5月の中京テレビ・ブリヂストンレディスオープン)。強い藍ちゃんが帰ってきたなと思いましたが、手ごたえは?
良い集中力でしたし、本当に一試合でも多く良いプレーをして、一人でも多くの方に恩返しをしたいという気持ちの表れがそのプレーにつながっていると思います。でも、手ごたえはシーズン初めからずっと感じていましたし、それが形になるまで我慢と思ってプレーしていたのですが、やっとああいった形で皆さんにちょっとでも良いプレーをお見せできたので、素直にうれしかったです。
――今回「引退」という言葉を使った。たとえば休養して、何年後かに復帰することもできたと思うが、そういった選択肢はあったのか?
今のところそれはないですね。第一線で結果を残していくためにはものすごくエネルギーが必要なので。それは私自身もすごく感じていることですし、プロでやる以上そこまで甘い世界ではありません。一度自分の中で限界を感じてしまった上での今回の決断なので、そこはちょっとないと思います。
――何年後かに電撃復帰ということはあるか?
100パーセントないと今は思っていますが、この4年を考えて、自分にもっといろいろなことができる可能性もあるんじゃないかとも考えています。もちろんプロゴルファーという形は変わらないですし、4歳からゴルフを始めて20年以上、ゴルフを通じて本当にたくさんの方にお世話になったので、今度は私が違った形で恩返しできればいいなと思っています。