マラソン「2時間の壁」は破れずも… 究極のチャレンジが示した可能性

永塚和志

「ランニングエコノミー」の難しさ

レースを終えたキプチョゲは、ペースメーカーらと健闘をたたえ合った 【写真:ロイター/アフロ】

 今プロジェクトで2時間超えを達成するためのキーワードの一つが「ランニングエコノミー」だった。マラソンという長距離競技においては、少しでも少ないエネルギーで走ることが後半から終盤の落ち込みを少なくし、より良いタイムが期待できる。つまりは、世界記録を大きく上回り2時間以内というスピードで走るには、終始同等のスプリットを刻むが効率的であることから、今回のトライアルレースでもこれを実行しようとしたのだ。

 なるべく同じペースを守る。言うは易しでこれを生身のランナーが実行するのがどれほど難しいことか。ラドクリフは、通常のレースで多くのエリートランナーがそうするように前半より後半でペースを上げる「ネガティブスプリット」ではなく、終始イーブンで行かねばならなかったところが通常のレースとは異なる点だったと言った。

「普段のレースでは他の選手よりも速く走ればいいのだけれど、今日の選手たちはタイムとにらめっこしつつ、ずっとイーブンでいかねばならなかった。最初からイーブンペースで走り続けるというのは難しいもの」「(自分もしたことがないだけに)想像でしか言えないけれど、距離がかさめばかさむほど体調も変化するわけだからペースを守るのは大変だと思う」(ラドクリフ氏)

難題への挑戦はまだ序章

2時間切りを目指した今回の挑戦は、結果だけを見れば失敗に終わったものの、世界に多くの可能性を示した 【Getty Images】

 繰り返しになるが、キプチョゲほどのトップランナーでさえも気温11.3度(スタート時)でほぼ無風というマラソンで記録を狙うには格好の条件下でも壁超えはできなかった。終わってみれば、これまで以上に「2時間の壁」の高さを感じることになったチャレンジだったとも言えるかもしれない。

 ただしラドクリフ氏が言うように、例えキプチョゲのような実力者でも、距離こそマラソンの距離とは言え、ペースを均等に保って走るという試みを実行に移すのは、「実践」では今回が初めてであった。初めてのことは何事も難しさがつきまとうもので、実行する者は無意識の心理的圧迫感も感じることになるだろう。

「選手たちがこれだけの速いペースで走るのは今回が初めてであったのだから、まずは3人が(プロジェクトを通して)どれだけ成長したかを見てほしい」。同プロジェクトの主要人物であるナイキ・スポーツ研究所担当副社長、マシュー・ナース氏はそう語った。負け惜しみに聞こえるかもしれない。が、同プロジェクトに関わった数多くの関係者たちは一様に、難しいと思われることに挑戦することへより大きな意義を見いだしている。少なくとも、現在の公認世界記録をまだかなり縮められる可能性があることを世界は知った。

 同所においてハーフの距離で行われた3月のテストラン後には「60パーセントの力しか出していない」と話したキプチョゲだが、今回は「100パーセント」出し切ったと目標達成に届かなかった弁解を一切しなかった。それでも、「これは終わりじゃない」と続ける。

「我々は今日、『不可能は可能である』ということを知った」。そう口にした32歳のキプチョゲの表情は凛々(りり)しかった。

 プロジェクトの呼称からもわかるように2時間の壁を超えるか超えないか、焦点はそこだった。それが果たされず失望したファンは少なからずいたはずだ。しかし、キプチョゲやブレーキング2プロジェクトの関係者たちは決して頭を垂れはしなかった。それは、今回が挑戦の「終わり」ではなく序章にすぎないと思っているからにちがいない。

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著者プロフィール

茨城県生まれ、北海道育ち。英字紙「ジャパンタイムズ」元記者で、プロ野球やバスケットボール等を担当。現在はフリーランスライターとして活動。日本シリーズやWBC、バスケットボール世界選手権、NFL・スーパーボウルなどの取材経験がある

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