ダルビッシュの捨てる勇気 成功体験にとらわれない思考法

丹羽政善

現地23日のロイヤルズ戦で今季2勝目をマークしたダルビッシュ 【写真:USA TODAY Sports/アフロ】

 かつて、アップルの創業者スティーブ・ジョブズは、こう話した。

「クリエイティブに生きたいなら、過去をあまり振り返るべきではない。自分がしてきたこと、自分が誰であるかを受け入れたうえで、それらを捨てるべきである」

 前に進むためには、現在の成功を破壊しなければ、それをなし得ない――。日本でも、作家の開高健がこんな言葉を残す。

「何かを得れば、何かを失う。そして、何ものをも失わずに次のものを手に入れることはできない」

 さて、レンジャーズのダルビッシュ有はこの春、ピッチャープレートの一塁側を踏んで投げていた。

 具体的な意図を明かすことはなかったものの、普段から、「とりあえずは試してみよう」という考えを持ち、オープン戦ではそれなりに手応えもあったようだが、開幕戦のインディアンス戦に登板した後、あっさり撤回した。

「違和感しかないので次から三塁側から投げると思う」

 ボウリングでも普段は右側から投げているのに左側に変えれば違和感があると、ダルビッシュを知る友人がわかりやすい例えをしていたが、一塁側で投げることによる効果もあったはず。例えば、左打者に対してフロントドアの2シームを投げれば、多くの左打者は腰がひけて、ストライクを見逃すパターンが増えるのではないか。右打者にバックドアの2シームを投げれば、ボールにしか見えないだろう。一方で、三塁側から投げたほうが、スライダーをより対角に使える。

 もちろん、メリット、デメリットを考えてのことだろうが、いずれにしてもダルビッシュはキャンプで取り組んできたことを、1回きりで捨てた。

 ただおそらく、その勇気こそダルビッシュの進化には欠かせないものとも言える。

少しでも良くするために試行錯誤

 端から見れば、元に戻しただけ、あるいはステップバックと映るかもしれないが、少なくとも、なぜ一塁側ではだめなのか、という引き出しが増えた。今は、より高く飛ぶために膝を曲げ、ためを作っている状態と捉えたほうが、正しいのではないか。

 そもそもダルビッシュは、より成長できるのだとしたら、過去の成功体験にとらわれることがない。

 昨年夏、スライダーが曲がらず苦労していたが、9月9日(現地時間)のエンゼルス戦で、リリースポイントを下げ、インステップになっていた踏み込む左足の位置を修正してスライダーのキレを取り戻すと、7回途中まで相手打線を翻弄(ほんろう)した。

 その日の試合後、それなりの充実感を漂わせたが、次の先発(17日のアスレチックス戦)では、5回を投げて7安打7失点と崩れている。

 実は、15日のブルペンでは、またエンゼルス戦とは違う感覚を試した。これが、「すごい良かった」そうだが、17日の試合後に本人が言うには、そこに落とし穴があった。

「ブルペンが良すぎたという話をしましたが、そのブルペンはこれまで自分が投げている感じとはかなり違って、そういう感じであまり投げたことがないから、大丈夫かなっていうのがあった」

 そしてこう続けている。

「試合前に(ブルペンで)投げたけど良くなくて、最終的にエンゼルス戦のやつに戻したんですけど、前回のブルペンが今までとは感覚が違いすぎて、前回のブルペンで頭をそういう方向に使いすぎたから、その前のエンゼルス戦とは全然違うわけじゃないですか。そこが頭の中ですごい混乱していたのかな」

 どうだろう。エンゼルス戦の後、仮に違う感覚を求めなければ、残りシーズンを無難に乗り切れたかもしれない。その後、苦労することもなかったかもしれない。ただ、彼の頭の中は、“例えばこういう体の使い方をしたらもっと良くなるのでは?”という思考で埋まっている。

 結局ダルビッシュはそのとき、15日のブルペンでつかんだ感覚を追うことなく、エンゼルス戦での感覚も捨て、別のものを探していく。プレーオフに向けて手応えを得たのは、9月の終わりのこと。このときようやく、「かなり迷った時期もありましたけども、その時期もあったので、今みたいにこうやって、精神的にもクリアな状態で投げられるようになっていると思う」と明るい表情で言っている。

 ただ、プレーオフではより良いピッチングを求めて、結果的に打たれた。彼の向上心には、かくも諸刃の剣のようなところがあるわけだが、それがなければ、今のダルビッシュがなかったのも確かではないか。

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著者プロフィール

1967年、愛知県生まれ。立教大学経済学部卒業。出版社に勤務の後、95年秋に渡米。インディアナ州立大学スポーツマネージメント学部卒業。シアトルに居を構え、MLB、NBAなど現地のスポーツを精力的に取材し、コラムや記事の配信を行う。3月24日、日本経済新聞出版社より、「イチロー・フィールド」(野球を超えた人生哲学)を上梓する。

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