JFL初勝利で見えたFC今治の新たな課題 敵将が語る「的を絞りやすい」の真意とは
玉城と三田のゴールで今治がJFL初勝利
先制点を決めた今治の玉城。チームにとっては開幕戦以来となる待望のゴールだった 【宇都宮徹壱】
前半、ゲームを支配していたのはアウェーの今治だった。相手陣内でボールをつなぎながら、幅を生かした攻撃でチャンスを作っていく。前半12分、桑島良汰の右からの折り返しに可児壮隆が放ったシュートはバーを直撃。その4分後、上村岬からのロングパスを受けた桑島が、ワントラップして強烈なボレーで狙うもわずかに枠をそれた。もっとも、こうした展開を浦安の齋藤監督は折り込み済みだったようだ。ゴール前にしっかりブロックを作り、相手の攻撃がサイドに移ったところで人数をかけてボールを奪う。そこまではできていたのだが、なかなか反撃につながらないのが悩ましい。前半は0−0で終了。
エンドが替わった後半8分、ついに試合が動く。右サイドバックの玉城峻吾が、桑島とのワンツーからドリブルで前進し、ボックス手前から左足で強烈なミドルシュートを見舞う。ゴールが決まった瞬間、雄たけびを挙げる玉城。すぐさまチームメートが駆け寄り、喜びの輪が広がっていく。チームとして4試合ぶり、リーグ戦で最後にネットを揺らしてから実に338分をかけてのゴール。決めた玉城も素晴らしかったが、この日は左サイドの中野圭、さらにはCBの小野田と佐保も、果敢なドリブルやオーバーラップを見せ、攻撃に厚みを加えていたことを評価したい。特に佐保のプレーを見ていると、「われわれのやり方は、ポジションはあってないようなもの」という吉武博文監督の言葉もうなずける。
もっとも待望のゴールによって、逆に前半に見られた積極性が影をひそめてしまったことは、今後の反省材料だろう。やがて浦安も盛り返すようになり、後半19分には右サイドの裏に抜けた南部健造が角度のないところからシュート。GKクラッキが飛び出していたのでヒヤリとしたが、幸い弾道はゴールをかすめて逆サイドに流れていった。その後は一進一退の展開が続くが、後半45分に今治が試合を決定付けるゴールを決める。可児がインターセプトしたボールを、レニー(ハーフタイムで長尾善公と交代)、岡山和輝(後半28分に桑島と交代)とつなぎ、最後は三田尚樹が左足でネットを揺らした。ファイナルスコア2−0。今治は開幕から5試合目で、うれしいJFL初勝利を挙げた。
ここまで今治の初勝利が持ち越された理由は何か?
試合後、談笑する吉武監督(右)と岡田オーナー。JFL初勝利で今治は9位に浮上 【宇都宮徹壱】
それにしても、ここまで今治の初勝利が持ち越された原因は、何だったのだろうか。吉武監督は「自分自身は、この4試合は悪い内容だったとは思っていない」としながらも、勝てないことで「自分たちのパフォーマンスが良くないと選手たちが思うこと」を危惧していたという。この日も、試合内容に不満がないわけではない。それでも、自分たちのやり方を曲げることなく勝利したことに、大きな意味があったことは間違いないだろう。
一方、浦安の齋藤監督は敗因について「ウチの自滅でした」と無念そうに語る。指揮官は「相手は攻撃が得意なチームなので、こちらが前から奪ってたくさん攻める時間帯を伸ばせば勝率は高くなる」と予想。しかし「立ち上がりの守備は非常に良かったですけれど、奪ったあとのボールが雑すぎた」ことが、苦戦した最大の要因だったと総括している。その一方で、今回の今治対策は間違っていなかったとも。その根拠となったのが、スカウティングで明らかになった今治のサッカーの特徴である。
「彼らのサッカーは、ラインの中でやる。逆にラインの外、たとえばディフェンスラインの背後を突く動きというのはあまり見られない。常に足元。サッカーで一番難しいプレーは、自分の背中をとられる時ですよね。この(相手の)背後をとる回数が少なくて、愚直なまでに自分たちのスタイルを貫く。前から圧力をかければ、裏へは蹴ってこない(と予想した)わけです」
結果として、ボールは奪ってもマイボールにする時間が短く、ミスから奪い返される場面が続出したため、浦安は「自滅」することとなった。それでも齋藤監督は「今治は素敵なチームだけれど、的は絞りやすいと思いました」と率直に語っている。先ほどの吉武監督の「自分自身は、この4試合は悪い内容だったとは思っていない」という発言と重ね合わせると、初勝利まで時間がかかった理由も自ずと見えてくるのではないか。
たとえばハーフタイムで、吉武監督は長尾に代えて189センチと長身のレニーを投入したが、高さを生かした戦術に切り替えたわけではなく、やはり足元でのサッカーを貫いていた。今治が本気で1年でのJ3昇格を目指すのであれば、いずれ「的が絞りやすい」今のやり方を見直す必要も出てくるのではないだろうか。この浦安戦は、記念すべきJFL初勝利であると同時に、新たな課題が顕(あらわ)になった一戦であったのかもしれない。