連載:東京五輪世代、過去と今と可能性

“欧州仕様”の守備を意識する冨安健洋 東京五輪世代、過去と今と可能性(3)

川端暁彦

目指すのは“動けて速くて、でも強い”体

自らのプレースタイルについて「ストロングポイントがないんです」と笑う冨安だが、それはこだわりの裏返しでもある 【写真:川端暁彦】

 無類の大型DFだが、必ずしもパワータイプというわけではなく、“ギャップ”のある選手である。本人は自らのプレースタイルについて「特長、ストロングポイントがないんです」と笑って言うのだが、それはこだわりの裏返しでもある。世界仕様の体作りを含め、その視線は高い。

――去年は自分のことを「ストロング(ポイント)のない選手」と評していましたが?

 困るんですよ、長所を聞かれる質問(笑)。でもボールを奪うというところに関しては、こだわりがあります。特長にしていきたい部分ではありますね。ただ下がるだけでは絶対にボールを奪えないし、ミス待ちの守備、リアクションの守備は好きじゃないので。仕掛けてボールを奪いにいくことのできる選手でいたいというのは本音です。

――より欧州的なスタイルということ?

 FWやサイドハーフであっても、欧州と日本では守備の考え方や基準が違うと思います。日本だとディレイ(相手の攻撃を遅らせる守備)が主という感じですが、欧州には“奪う”という意識があります。自分は“抜かれない”ことよりも“奪う”という意識を大事にしたいです。

――今、体作りにすごくこだわっているという話も聞きましたが、そういう意識からですか?

 競り合いで当たり負けしない体と、スピードもつけていきたいと思っています。鍛えて重くなるのも自分は嫌なので、“動けて速くて、でも強い”という体を目指してやっています。

――オフに東京のジムに行っていたという話も聞きました。

 誘われたので行ってみたというきっかけでしたが、知識としてもいろいろと聞けましたし、柔軟性を大事にするためにストレッチを工夫したり、これまでの取り組みに少し変化がありました。自分自身の変化はキャンプのときに一番感じましたね。

 これまでは1対1で縦に行かれると、一瞬体が浮いてしまって、相手についていけないことが多くありました。アジア予選では(コンディショニングコーチの)小粥(智浩)さんからも「遅れるね」と指摘されていて、そこはトレーニングを重ねてきました。(ニューイヤーカップで対戦した)鹿島(アントラーズ)の金崎夢生選手にも「ついていけた」という感触が自分の中であったので、やって良かったと思っています。

――U−20W杯に向け、そこは頼もしく思っておいていい?

 はい。相手にぶっちぎられないようにします(笑)。まずスピードが速い選手には、ボールが入る前に対応するのが一番だと思っています。その上で最悪ファウルをしてでも止めてやるという気持ちは、持っておきたいです。

 もちろん状況次第では“抜かれない”ことを優先する場合もありますが、最初からそのつもりだと、海外のレベルの高いFWはプレッシャーを感じてくれません。ですから、距離感と下がり過ぎないように対応することは意識したいです。

海外を意識するきっかけとなった「ある試合」

冨安が国際舞台の高いレベルを意識したのは「ある試合」がきっかけだった 【写真:アフロスポーツ】

 冨安が昨年の代表活動で手にしていたのは、自信というより明日への課題だった。謙虚に上のレベルを狙い、オフから動き出していたのは何とも冨安らしいエピソードである。欧州仕様の奪いにいく守備と、強力なFWに“奪われるかもしれない”というプレッシャーを与える距離感、そしてそれを可能にする体作り――。そうした国際舞台の高いレベルを意識したのは、「ある試合」がきっかけだった。

――1年半前、親善試合でU−18イングランド代表と対戦して1−5で敗れました。

 あれはちょっと……一番衝撃を受けた相手でした。「日本とこんなに違うものか」と感じさせられました。やっぱり思うところはありますし、(U−20W杯で)上までいって、またイングランドと試合をしてみたいとも思っています。

――“違い”はどのあたりで感じました?

 シンプルに、サッカーのスピードが違いました。普通のパスのスピードや、止めて蹴る判断のスピード。そのスピードが一番違う、ついていけない部分がありました。“普通”が日本とは違いました。あの試合から「海外に出ていきたい」という気持ちも強くなりましたし、いずれプレミアリーグでプレーしたいと思ったのも、あの試合がきっかけです。

――将来的に、こういう選手になっていきたいという理想像はいますか?

(ハビエル・)マスチェラーノ選手(バルセロナ)ですね。ボールを奪うのがとてもうまいですし、下がりながら(前に)行くところや、駆け引きもうまいと思います。

――かつてスクールに通っていたバルセロナに行きたいとか?

 ないですね。あんなサッカーはできないです。(ボールを)回せないです。本当に無理です(笑)。だから自分のイメージは、あの試合(イングランド戦)からずっとプレミアリーグなんです。

――東京五輪についてはどうですか。リオデジャネイロ五輪前はトレーニングパートナーとして、チームに帯同し、ブラジルとの親善試合も経験しました。

(五輪は)何が何でも出たい大会です。でもそのためには、五輪の前に海外に出て、活躍するくらいでないといけないと思っています。ブラジルとの試合で、自分が出場したときは相手も手を抜いていた時間帯でしたが、前半をベンチで見ていたときに感じたのは、やはりサッカーのスピードがまるで違っていました。

 それを考えると、(東京五輪のときには)海外にいるのが当たり前でなければと感じました。ブラジルはネイマール選手(バルセロナ)に限らず、全員が本当にうまかった……。あのFWを止める自信があの時点では持てませんでした。だから、東京五輪という舞台までに、もっともっと成長したい。自分が思っているのはそれだけです。

 海を渡り、大きく羽ばたきたい。壮大な大志を抱く若者は、自己評価も甘くなってしまいがちである。だが、この18歳の青年は、真摯(しんし)に自分の欠点を見つめ、他人の助言に耳を傾けて改善に努めながら、しかし自分の目指す理想像は譲らず、同時に強い野心を蓄えて前を向いている。

 5月20日に開幕するU−20W杯は冨安にとって初めての世界大会となるが、どんな結果となるにせよ、この若者がその経験を飛躍への糧に変えていくことだけは間違いない。

冨安健洋(とみやす たけひろ)

【写真:川端暁彦】

1998年11月5日生まれ、福岡県出身。188センチ、78キロ。アビスパ福岡U−15、18を経てトップチームに昇格した。16シーズンはJ1で10試合に出場し、レギュラーの座をつかんだ。J2の舞台で再出発となった今シーズンも先発出場を続け、安定したプレーを披露している。日本代表としては、U−13から各世代別代表を経験し、16年8月のリオ五輪ではトレーニングパートナーに選出された。同年10月にはAFC U−19選手権にも出場し、日本のアジア制覇に貢献した。

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著者プロフィール

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』をはじめ、『スポーツナビ』『サッカーキング』『フットボリスタ』『サッカークリニック』『GOAL』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。近著に『2050年W杯 日本代表優勝プラン』(ソル・メディア)がある

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