ヤクルト大松の打席で流れた『願い』 先輩・福浦の思いに応えた移籍後初安打
キャンプでのテストを経てヤクルト入団を勝ち取った大松 【写真は共同】
4月2日、超満員のファンで埋まった神宮球場にひときわ大きな拍手と歓声が沸き上がる中、ウグイス嬢のアナウンスに促されるように、背番号66が左バッターボックスに向かう。そのバックに流れる曲は、今季から東京ヤクルトの一員となった大松尚逸が、登場曲として予定していたものではなかった。
「あの『願い』っていう曲は、福浦さんの登場曲なんです」
大松がそう教えてくれたのは、試合後のことだった。EXILEのATSUSHIが歌う『願い』──それは千葉ロッテ一筋24年目の大ベテラン、福浦和也が本拠地で打席に入る際に流れる曲。それを大松が自身の登場曲として使ったのには、ワケがあった。
偉大な先輩からのエールを胸に秘め
翌09年、大松は主に「4番・ライト」で、2年連続の2ケタとなる19本塁打をマーク。シーズン終盤は背番号9の福浦と背番号10の大松で、3、4番コンビを組むことも多かった。しかし、2人がそろってレギュラーを張るのは、翌10年が最後となった……。
ここ数年はともに出場機会が減り、昨年の福浦は1軍昇格後では自己最少の出場36試合。大松は昨年5月にファームの試合で右足アキレス腱断裂の重傷を負い、プロ入り後初めて1軍出場ゼロに終わる。そして10月、大松に突きつけられたのは、球団からの戦力外通告。その直後──。
「福浦さんがマリン(QVCマリンフィールド。昨年12月からZOZOマリンスタジアムに改名)で、僕の登場曲を流してくれたんです」(大松)
福浦が自身の打席で、いつもの登場曲の代わりに流した大松の登場曲。それはロッテを去ることになった後輩へのエールにほかなからなかった。その思いに応えるためにも、野球を、現役をあきらめるわけにはいかなかった。そんな大松に、左の長距離バッターが手薄なヤクルトが手を差し伸べる。2月14日から宮崎・西都でテストを受け、見事にこれをパスした大松は、真新しい66番のユニホームを手にした。
キャンプ、オープン戦は2軍だったものの、3月18日にイースタン・リーグが開幕すると、大松はクリーンアップの一角として打ちまくった。6試合の出場で打率5割2分6厘、2本塁打、8打点。その打棒に、真中満監督は開幕1軍入りを決めた。
監督も「代打の切り札」として期待
翌日は出番がなく、ふたたび出場機会が巡ってきたのは4月2日の開幕第3戦。4対4の同点で迎えた9回裏、1死から投手の打順で代打として起用され、今季2度目のバッターボックスに入った。そのバックに流れたのが、福浦の登場曲である『願い』。いろいろな思いの詰まった打席で、カウント3−1から三上朋也が投じた外寄りのストレートを、レフト前にはじき返した。
この回は得点にはならなかったものの、ヤクルトは延長10回裏、一昨年のオフに北海道日本ハムを戦力外となった鵜久森淳志の代打満塁弾で、劇的なサヨナラ勝ち。大松は試合後「スタンドからもたくさん声援をいただいて、心強かった。早い段階で1本出れば気分的にも全然違うので、そういう意味では良かったなと思います」と、新天地で初めてヒットを打った喜びを口にした。そして──。
「僕が(新天地で打席に)立つ時には流そうと思ってたんです」
自身の登場曲として予定していたスウェーデン出身の人気DJ、アヴィーチーの曲ではなく『願い』を流した理由を、改めてそう話した。この曲を使うのはこの日限り。可愛がってもらった先輩への感謝を込めたその打席を、移籍後初ヒットで飾った。
昨年5月に手術を受けた右アキレス腱の状態は、「まだ100%じゃない」と言う。
「医者には『1年ぐらいはしっかり自分で意識を持たないと、いつどうなるかわからない』って言われてるので、そのへんは頭の片隅に置きながら動かないといけないと思っています」
それを考えると、当面は代打での出場が続くだろう。だが、大松は08年の満塁弾を含め、通算で4本の代打アーチを放つなど、ピンチヒッターとしても実績を残してきた。真中監督も、右の鵜久森とともに「代打の切り札というイメージ」と期待を寄せている。プロ13年目、6月で35歳になる大松尚逸。その「第2のプロ野球人生」は、まだ始まったばかりだ。
- 前へ
- 1
- 次へ
1/1ページ