U−20代表が“道場破り”で得た成果 久保は完全に戦力として計算できる存在に
6日間で4試合をこなすハードスケジュール
スタンダール・リエージュU−21戦のスターティングイレブン。ハードスケジュールでの遠征となった 【川端暁彦】
今回の遠征はU−20W杯予選を兼ねたAFC・U−19選手権の終了後から3度目、今年に入ってからは2度目の招集である。J1リーグが中断となる国際Aマッチウイークを利用してのもので、本大会前にベストメンバーを招集できる唯一の機会だった。欧州でもこの時期にユース年代の親善試合や各種予選が多数組まれており、そこに割り込ませてもらうという算段である。この遠征を終えると、残すは4月のミニ合宿のみ。
ただ、このキャンプは「普段90分ゲームに出られていない(つまり所属チームでレギュラーになることのできていない)選手たちのコンディショニングと見極め」(内山篤監督)がテーマ。純粋なチーム作りという意味では、この欧州遠征が実質的な最終機会だ。
19日に日本を出発した一行は20日(現地時間)に到着すると、22日には早速隣国ルクセンブルクに移動し、同1部リーグ首位のF91デュドランジュと対戦(3−0)。中1日を空けて24日には日本と同じくU−20W杯出場を決めているU−20ドイツ代表と対峙(たいじ)し(1−2)、26日にはドイツ3部リーグ1位のMSVデュイスブルク(4−0)、そして27日にはベルギーまで赴き、かつてGK川島永嗣が在籍したことでもおなじみのスタンダール・リエージュのU−21チームと対戦した(3−0)。22日の初戦から27日の最終戦まで6日間に4試合を詰め込むハードスケジュールである。しかも相手のホームに乗り込んでの“道場破り”ばかりだった。
「普通なら組まないよね、こんな強行日程」
そう言って笑ったのは、ほかならぬ内山監督である。最後の遠征だから無理をしたのかと言えば、そういうわけでもない。指揮官はその理由を「試合に出ていない選手が多い。90分ゲームをできていない選手に関して、少しでもゲーム体力を戻す機会にしておきたかった」と明かす。18〜20歳の選手たちで、所属チームのレギュラーになっているのは数名にすぎない。
内山監督がこの遠征の前半でパフォーマンスの低かったある選手について「彼はいつもベンチに入っているけれど、本当に少ししか試合に出ていない。そのせいで90分のゲーム感覚、ゲーム体力がなくなってしまっている」と頭を抱えていた。U−19からU−20へチーム名は変われど、この年代特有の問題が解消されたわけではない。
指揮官が見極めた「組み合わせとポジション」
本大会登録メンバー21名の選出に向け、内山監督は選手の見極めに時間を割いた 【川端暁彦】
そのうえで今回の遠征は、トレーニングから最終登録メンバー21名へ向けて、選手の見極めにも時間を割いた。初招集だったFW旗手怜央(順天堂大)を唯一の例外として、今回の招集メンバーはある程度まで力が見えている選手たちではある。となると、ここで指揮官が見たかったのは「組み合わせとポジション」だ。つまり「こいつとあいつを組ませたら、どうなるか」(同監督)という部分と、登録が21名のためフィールダーの控えは8名に限られる中、セカンドポジションでどの程度やれるのかという点の見極めだ。
たとえば、予選ではセンターバックの主軸だった冨安をドイツ戦で後半から投入しボランチに置く、ドリブラータイプの攻撃的MFである遠藤渓太(横浜F・マリノス)を試合中や練習中に右サイドバック(SB)に配置する。あるいはもともと器用なMF坂井大将(大分トリニータ)を「ちゃんとやったのは久しぶり」と言う左SBで起用するといった”配置転換”を行いながら実戦を消化していった。
アジア予選のような23名枠の場合、内山監督は4−4−2の各ポジションに正副1名ずつ(GKは計3名)のスペシャリストを選出するタイプの指揮官なのだが、本大会の登録人数に制限がある以上は、マルチロールを準備しておくしかない。公式戦の交代枠3名の中で変化を作るためにも、ピッチ上に複数ポジションをこなせる選手が多いに越したことはない。ここで重要なのは、いずれも決して急造ではないこと。所属チームやキャリアの中で経験しているポジションなので、言ってみれば「めどの立つめど」があっての配置転換テスト。試合中のポジション移動を含めて、選手たちがいずれも破綻なくこなしていたのが印象的だった。