春の“清宮劇場”は2回戦で終幕 もう一度回らなかった8回の打席

楊順行

なにかが起きそうな予感はあったが

清宮の最初で最後のセンバツは2回戦で幕 【写真は共同】

 この日、野球の神様はいなかったのだろう。

 東海大福岡に、9対2。大量リードされた早稲田実(東京)だが、8回、清宮幸太郎の二塁打を口火に3点を追加した。なおも2死満塁。代打に出た西田燎太がつなげば、打者一巡でふたたび3番・清宮に打席が回るという状況だ。

 明徳義塾との1回戦を思い出した。あと一人でゲームセットの9回2死一塁、2番・横山優斗のなんでもないピッチャーゴロが敵失を呼び、打順は清宮へ。ここでじっくり選んだ四球が同点を呼び、さらに延長での勝利につながったのだ。回るはずのなかった打席が清宮に回ったことを明徳・馬淵史郎監督は、「早実にはついとるな、野球の神様が」と表現したものだ。

 東海大福岡戦の8回も、もし清宮にイニングの2打席目が回るとしたら、少なくとも3点差には縮まっている。さらにもし、そこで高校球界屈指のスラッガーがアーチでも架けようものなら……早実が大逆転するということだ。それこそ、「野球の神様がついている」。

 球場の空気も敏感だ。西田がボールを選び、ファウルで粘るたびに、4万3000人の観衆が呼応する。清宮に打順が回れば、なにかが起きそうな予感の高まりだ。だが西田は……6球目のまっすぐを空振り三振し、4点差のままチェンジ。裏の守りで致命的な2点を失った早実は、9回に3得点と粘りを見せたものの、8対11と2回戦で姿を消した。

高い飛球はスラッガーの証明

 それでも清宮の視線は、落ちてはいない。

「大差があっても8回、9回といい雰囲気に戻ってきた。球場を含めたあの雰囲気が自分たちの持ち味ですが、序盤、ディフェンスが粘りきれなかったのが響きました。悔しいっすね」

 コントロールもですが、球の質がいいんです――と東海大福岡のエース・安田大将を警戒しながら、それでも“清宮劇場”にスタンドは沸いた。

「コースにうまく投げ分けてくる。まっすぐも、見た目以上にきていた」

 1、2打席を凡退した後、6回の第3打席だ。ファウル5本でタイミングが合ってきた8球目を強振すると、たか〜いフライが右中間へ。ライトの前原生弥がゆうゆう追いついたように見えたが、ボールは前原の頭上を越え、カバーに入った中堅手の前に落ちた。前原が振り返る。

「落下点に入ったつもりが、そこからさらに2、3メートル伸びました。あんな打球、見たことがありません。でも、日本で一番の打者と対戦し、間近で打球を見られてうれしかった」

 明徳・馬淵監督も驚嘆した、スラッガーの証明ともいえる規格外の高い飛球だ。たとえば高校時代の中田翔(現北海道日本ハム)も、とてつもなく高いフライを打ち上げていたっけ。

 清宮は、「あれは打ち取られたセンターフライです。ただうちの練習でも、打ち上げた打球を野手が捕れないことがあるので、何かあるかも……と全力で走っていました」とその間に三塁に駆け込んだ(記録は三塁打)。

「裏に回ってもチームの支柱」

 さらに8回の二塁打を挟み、9回にも高い飛球を打ち上げる。あまりの高い弾道に、福岡の二遊間は打球を見失った。二塁手・大鶴悠斗は「ショート!」、遊撃手・橋本尚樹は「セカンド!」と叫び、最終的にはセカンドの守備エリアで橋本が倒れ込みながら処理したが、「正直、見えませんでした」。それはそうだ。あんなけた外れの打球、受ける練習をしようと思っても誰も打てないのだ。

 好リードでエースを盛り立てた北川穂篤も言う。

「3、4番(清宮、野村大樹)は打球スピードが全然違います。テンポと制球のいい安田が、こんなに球数を投げることはありません」

 単純比較はできないとはいえ、1回戦の神戸国際大付に安田が要したのは95球。そしてこの日は162球。いかに苦心のリードだったかがわかる。

 敗れはしたが、早実・和泉実監督は清宮の最初で最後のセンバツをこう評価した。

「追い上げた終盤に、球場の後押しを含めたあの雰囲気になれるのが早実の伝統です。ただ夏はともかく、春の時点で、あそこまでの空気になるチームは初めて。清宮の存在が、そうさせていると思いますね。打撃ばかり言われますが、裏に回ってもチームの支柱なんです」

 2015年夏に続く、清宮の甲子園劇場第2幕。終わってみれば2試合で9打数3安打だったが、大会の主役であったことは間違いない。

 東海大福岡の杉山繁俊監督が言う。

「清宮君と野村君はやっぱり、すごい。スターですもん」

 ちなみに杉山監督、甲子園で活躍した東海大相模での現役時代は、原辰徳の2学年上。“スター”との日常を経験しているからこそ、たっぷりの説得力がある。
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著者プロフィール

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。高校野球の春夏の甲子園取材は、2019年夏で57回を数える。

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