佐藤勇人と寿人が歩む異なるサッカー人生
共通する「負けず嫌い」のメンタリティー
佐藤勇人(右)と寿人(左)の双子対決は実に8年ぶりのことである
佐藤勇人(右)と寿人(左)の双子対決は実に8年ぶりのことである【(C)J.LEAGUE PHOTOS】

 3月11日に行われたJ2第3節、ジェフユナイテッド千葉vs.名古屋グランパスの試合(2−0)で、佐藤勇人と寿人は久々に顔を合わせることとなった。2人が対戦するのは実に8年ぶりのことだ。


 最後に対峙(たいじ)したのは、兄の勇人が京都サンガF.C.、弟の寿人がサンフレッチェ広島に在籍していた2009年のJ1第34節までさかのぼる。寿人が古巣である千葉のピッチに立つのも同じく8年ぶりとあって、千葉で育った2人の勇姿を見ようと、フクダ電子アリーナには13877人の観衆が駆け付けた。


 2人は12日に35歳の誕生日を迎える。そんなタイミングで顔をそろえるのも何かの縁だろう。惜しくも勇人はベンチから戦況を見つめることとなったが、寿人は先発出場を果たした。ゴールこそ奪えなかったが、前半に決定機を迎えるなど、まずまずのプレーを見せた。両親や小学校時代の指導者らが見守る中での一戦は、2人にとって特別なものとなったに違いない。

2人に転機が訪れたのは04年

寿人は今季、自身5チーム目となる名古屋で新たな戦いを始めている
寿人は今季、自身5チーム目となる名古屋で新たな戦いを始めている【(C)J.LEAGUE PHOTOS】

 双子としてこの世に生を受けた勇人と寿人。2人は千葉の下部組織から00年にトップ昇格を果たすまで、常に同じクラブでプレーしてきた。しかし、プロ4年目で彼らに転機が訪れる。兄の勇人は千葉に残り、弟の寿人は新天地を求めベガルタ仙台に移籍。ここから、彼らのサッカー人生は劇的に変わっていく。


 勇人は04年にイビチャ・オシム監督に出会った。名将は彼に多くの出場機会を与えた。チームで確固たる地位を確立した勇人は、日本代表へ招集されるまでに成長を遂げた。08年からの2年は京都でプレー。中心的な役割を担い、キャプテンも務めた。10年からは古巣に戻り、クラブの象徴として現在も奮戦を続けている。


 弟の寿人はセレッソ大阪を経て、期限付き移籍で仙台の地に降り立つと、その得点感覚が開花。04年には完全移籍へ移行し、J2でリーグ戦20得点を挙げた。広島へ加入後、その才能はさらに輝きを放つ。12年にチームを優勝に導く活躍を見せた寿人は、J1得点王とMVPの二冠を達成した。


 15年には12年連続2桁得点(04年−15年)という前人未到の記録を樹立し、日本代表でも31試合に出場し、4得点を記録。J通算211得点を挙げ、名実共に日本を代表するストライカーへと成り上がった。昨季はリーグ戦19試合の出場で4得点に終わったが、その決定力はさび付いていない。雪辱を果たすべく、今季から自身5チーム目となる名古屋で新たな戦いを始めている。

好奇心旺盛な勇人、サッカーに対して真面目な寿人

好奇心旺盛で地元を大切にする勇人。その考え方は現在の歩みにも重なる(写真は昨シーズンのもの)
好奇心旺盛で地元を大切にする勇人。その考え方は現在の歩みにも重なる(写真は昨シーズンのもの)【(C)J.LEAGUE PHOTOS】

 2人がそれぞれの道を選んだ理由は彼らの性格からひも解くことができる。兄の勇人は好奇心旺盛で地元をこよなく愛する人間だった。16年の12月には、CARE LAB.(ケアラボ)というジムをフクアリの近くにオープン。こういった新たな試みにチャレンジする姿勢は昔から変わらない。


 高校時代は地元の友達と遊ぶことやファッションに夢中になり、髪の毛を染めた状態で練習場に姿を現すこともあった。そのため、コーチ陣からトレーニングへの参加を禁じられ、2年時と3年時には下部組織を一時的に退団したこともある。「友達が大切でした。オンとオフの切り替えが大事で、練習が終われば友達と遊ぶのが好きだった。なので、地元から離れませんでした」と勇人は笑う。


 彼の考え方は現在の歩みにも重なる。だからこそ、千葉でサッカー人生を全うする道を選んだ。千葉のジュニアユース、ユース時代から彼らを指導してきた大木誠氏はこう語る。


「あいつ(勇人)は京都に行って帰ってきましたが、本当に千葉が好きです。いろいろなことがあった勇人だけれど、みんなが声を掛けてくれてここにいる。だから、このクラブが好きなんだと思います。今の自分があるのは、千葉のおかげだと思っているはずです」


 中学時代からお世話になったクラブや仲間とともに過ごす時間。そこには人と地元を大切にする勇人らしいサッカー人生がある。


 一方、寿人は昔からサッカーに対して真面目だった。ユース時代は少しでも長く練習をするべく、勇人が実家暮らしをしていた中で、自身は練習場から近い寮に入り生活していたほどだ。日が暮れてもシュート練習を続けており、いつしかグラウンドの照明を消すのは寿人の役割になっていた。サッカー中心の人生設計――。それはプロになってからも変わらない。


「02年のオフに仙台からのオファーをどうするかという相談を受けました。今の千葉には林丈統もいるから、行った方がいいと伝えました。それが寿人が移籍を決断する要因になったと母親が話していました(笑)。そして、仙台から広島に移る時も相談を受けました。『僕は代表に入りたい。だから、J1でないとだめなんです。広島に行かないとだめなんです』と言っていましたね」(大木氏)


 その向上心がJ1得点王につながり、日本代表入りという夢を実現させたのだ。

松尾祐希
松尾祐希

1987年、福岡県生まれ。幼稚園から中学までサッカー部に所属。その後、高校サッカーの名門東福岡高校へ進学するも、高校時代は書道部に在籍する。大学時代はADとしてラジオ局のアルバイトに勤しむ。卒業後はサッカー専門誌『エルゴラッソ』のジェフ千葉担当や『サッカーダイジェスト』の編集部に籍を置き、2019年6月からフリーランスに。現在は育成年代や世代別代表を中心に取材を続けている。

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