スコア以上に苦しんだオーストラリア戦 勝利の裏に鈴木の意思と小林の間

中島大輔

スコア以上に苦しんだオーストラリア戦に勝利して、喜ぶ侍ジャパン外野陣(左から筒香、青木、鈴木) 【写真は共同】

 1番・山田哲人がセンター前にクリーンヒットを放ち、2番・菊池涼介がライト前安打で続き、3番・青木宣親のセカンドゴロで1死2、3塁――。

 勝てば第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)1次ラウンド突破に大きく近づくオーストラリア戦は1回表、絶好の形でチャンスをつくったものの、得点できず、終わってみれば4対1というスコア以上に苦しめられた。

見た目以上に速かったアサートン

 オーストラリアは実力的に日本より下だったが、独特の緊張感があるWBCの戦いは一筋縄には行かない。相手先発アサートンは145キロほどのストレート、スライダー、カーブと特段すごい球を投げていたわけではないが、野球日本代表「侍ジャパン」打線は4回まで無得点と苦しめられた。

 その理由について、鈴木誠也はこう振り返っている。

「見た感じはそんなに速さを感じないんですけど、途中から加速してくるというか。144、145キロしか出ていないんですけど、150キロくらいの威力がありました。みんな、『速い』と言っていましたし」

 実際には途中から加速するようなボールはないだろうが、そう感じさせられるほど詰まらされる当たりが多かった。

 投げてはエース・菅野智之が2回、高めに浮いたスライダーを7番の右打者デサンミゲルに「予想外」というホームランをライトスタンドに運ばれた。こうした序盤の展開が響き、名の知られていないマイナーリーガーや、消防士の仕事を掛け持ちしながらプレーする選手もいるオーストラリアに、日本のトッププロを集めた侍ジャパンは苦しんだ。

「終わった」と思った鈴木の右打ち

5回無死一塁、右打ちのサインに必死に食らいつく鈴木。内野安打としてチャンスを広げ、松田の同点犠牲フライを呼び込んだ 【写真は共同】

 しかも見逃せないのは、この試合でポイントとなった二つのシーンには、二つの“失敗”が絡んでいた。一歩間違えば、違う結果に転がっていてもおかしくなかったのである。

 一つ目の失敗は1点を追いかける5回表の攻撃で、先頭打者の坂本勇人がレフトへの二塁打を放った直後だ。7番・鈴木に対し、ベンチは右打ちの指示を送った。2ボールから投じられた真ん中低めのスライダーを鈴木はセカンドへの内野安打とし、無死一三塁から続く松田宣浩が犠牲フライを放って同点にしている。しかし、鈴木の当たりは狙い通りのものではなかった。

「うまく対応できたわけではありません。ピッチャーのところに飛んでしまったので『終わった』と思ったんですけど、(足下を)抜けたので良かったです」

岡田、制球定まらず「放心状態」

 二つ目の“失敗”は直後の5回裏、継投の場面だ。49球でこの回を迎えた菅野は9番ハーマンにショートへの内野安打を打たれたところで66球となり、球数制限を迎えて2番手の岡田俊哉が1死一二塁のピンチでマウンドへ。

「そのイニングで(菅野の)球数が制限まで行ったときには自分の出番だとわかっていたので、(イニング途中で登板する)問題は全然なかったです」

 前日のキューバ戦では7回2死一塁で登板し、勢いに乗る相手の攻撃を食い止めた。だが、この日は異なる展開が待っていた。

「悪いほうに、悪いほうに、どんどんはまっていきました。自分の悪いときのパターンではあるんですけど」

 1死一二塁で迎えた1番カンディラスにはストライクが1度も入らず、暴投をはさんだ後に四球で満塁。マウンドに来た権藤博投手コーチに「気負いすぎず、普段通りに自分のピッチングをしろ」と言われたが、2番ベレスフォードには初球をワンバウンドのボールとし、続くストレートも外れる。「僕自身、一番放心状態だった」と振り返ったほど追い込まれていた。

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著者プロフィール

1979年埼玉県生まれ。上智大学在学中からスポーツライター、編集者として活動。05年夏、セルティックの中村俊輔を追い掛けてスコットランドに渡り、4年間密着取材。帰国後は主に野球を取材。新著に『プロ野球 FA宣言の闇』。2013年から中南米野球の取材を行い、2017年に上梓した『中南米野球はなぜ強いのか』(ともに亜紀書房)がミズノスポーツライター賞の優秀賞。その他の著書に『野球消滅』(新潮新書)と『人を育てる名監督の教え』(双葉社)がある。

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