侍戦士、甲子園での活躍をプレイバック〜あの時君は若かった〜

楊順行

野村とのバッテリーで準Vの小林

 小林誠司は、広陵の捕手として07年の春夏に出場。野村祐輔(広島)をよくリードし春はベスト8、夏は準優勝を果たしている。そう、決勝で”がばい旋風”の佐賀北に満塁本塁打で逆転され、微妙な判定に悔しそうにミットで土を叩いた、あのときのキャッチャーです。それにしても、この夏の小林は9番打者。「それがプロ入りするんだから、よっぽど努力したんでしょう」とは広陵・中井哲之監督だが、それどころかいまや日本代表である。

 岡田俊哉は智弁和歌山の投手として、1年だったこの07年夏から3季連続の甲子園で、08年は春夏ともにベスト8。09年夏は1回戦で滋賀学園を2安打13三振で完封するなど、3回戦まで進出し、全試合を完投した。

坂本は春1度出場で3安打

 ここに動画はないが、ほかのメンバーも見ていこう。00年夏、中京商(現中京)の2年生としてショートを守り、3番を打ったのが松田宣浩。岐阜大会でも打率6割1分1厘と好調だった打撃は初回にヒットを放っているが、那覇と1対1で迎えた延長11回2死二塁から、三遊間のゴロを処理したものの、焦って一塁へ高投。二走に決勝のホームインを許している。いまは熱男で知られるが、当時は「3年生に申し訳ない…」とうなだれるしかなかった。ちなみにこのとき、双子の兄・教明もベンチに入っている。

 また平野佳寿は同じ00年、翌01年の両センバツで鳥羽のベンチに入っているが、いずれも控え。記録として残るのは00年、東海大相模との準決勝で3回3分の1を7失点という思い出したくない数字のみだ。02年にセンバツ経験があるのが、中京大中京の嶋基宏。広陵と対戦したが、西村健太朗(巨人)に5安打完封負けを喫している。主将として当時は二塁を守り、2番を打った嶋は4打数1安打だった。坂本勇人も、光星学院で06年のセンバツに出場している。関西に初戦負けしたが、のちに日本ハム入りするダース・ローマッシュ匡から、「4番・ショート」として先制打含む3安打はさすがだった。

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著者プロフィール

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。高校野球の春夏の甲子園取材は、2019年夏で57回を数える。

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