侍戦士、甲子園での活躍をプレイバック〜あの時君は若かった〜
バッタバッタと三振奪った松井
「長い歴史の中で自分の名前が残るのは、プレッシャーにも感じます。でも、記録に恥じないようにレベルを上げたい」と、当時の松井は初々しい。もともと神奈川大会からドクターKと呼ばれ、甲子園では右打者のひざ元へのスライダーが絶品だった。落差が大きいので、見極めればボールになるものもあるが、なにぶん147キロの真っすぐと同じ腕の振りである。高校生には、ちょっとできない芸当だ。6回途中からは9回2死まで10者連続三振(これも大会記録)で、「もともと球数が多い投手だから、スタミナはある」(桐光学園・野呂雅之監督)と、球威はまったく落ちなかった。
松井は常総学院との2回戦でも19、浦添商との3回戦は12、敗れはしたが準々決勝の光星学院からは15奪三振。1試合あたり17という、まるで劇画のような奪三振率を残した。