侍戦士、甲子園での活躍をプレイバック〜あの時君は若かった〜
中田は1年夏から投打に活躍
「前が大きいですよねぇ」とは、梅田・阪急東通りの行きつけの飲み屋で、野球好きの大将だ。春日部共栄との初戦、背番号17の1年生・中田は第1打席でタイムリーを放つと、2打席目もタイムリー二塁打、3打席目は内野安打のあと、4打席目はレフトに勝ち越しアーチだ。あわやサイクルの4安打3打点。ホームランを示すスコアブックの余白には、感嘆の”!”が記してある。
当時で183センチ、80キロという大学生のような体躯から「前の大きい」フォロースルーは豪快で、遠くへ飛ばす希有な才能を感じさせた。おまけにその試合は、146キロの速球を武器に、救援で5回途中から1失点の勝ち投手。春日部共栄の本多利治監督は、「中田君一人にやられた。打つほうはバケモンですし、球のキレは想像以上でした」とお手上げである。噂の大物として入学した大阪桐蔭では、すぐに2学年上の平田のあとの5番を打ち、夏の大阪大会は24打数11安打、場外弾含む2本塁打に、13打点はチームトップだった。
平田と同学年に辻内崇伸(元巨人)がいて、2回戦以降は打撃に専念したこの大会では、以後準決勝まで全試合でヒットを記録。通算20打数8安打1本塁打という数字を残している。駒大苫小牧に敗れ、「野球は一人ではできない。つなぐ大切さがわかりました。もう少し長く、先輩たちと試合がしたかった」と、1年生らしい殊勝なコメント。結局中田は、都合3回甲子園に出たが、皮肉なことに3回とも、その大会の優勝チームに敗れている。