“雑草魂”の真っ向勝負を制した福原辰弥「熊本にもっと良いニュースを届ける」

船橋真二郎

熊本地震の被災後に2度の日本王座防衛

地元・熊本でのWBO世界ミニマム級暫定王座決定戦で、判定での勝利を飾った福原 【写真は共同】

『熊本地震復興支援チャリティーマッチ』と銘打たれて開催されたプロボクシングのWBO世界ミニマム級暫定王座決定戦は2月26日、熊本県上天草市の松島総合運動公園「アロマ」で行われた。同級2位の福原辰弥(本田フィットネス)は、1位のモイセス・カジェロス(メキシコ)を2−1の判定で下し、王者の高山勝成(仲里)の長期離脱により設置された王座に就いた。

 1984年11月以来、約32年ぶりとなる熊本での世界戦。熊本のジムから初めての世界王者を目指した福原には強い思いがあった。

「自分が勝つことで、熊本に少しでも良いニュースを届けたい」

 昨年4月、熊本を襲った巨大地震では当時日本王者だった福原も被災。約1週間の車中泊を強いられた。徐々に練習を再開し、少しずつ暮らしを取り戻していく中でリングにも復帰。9月、11月と地元の熊本市で日本王座の防衛に成功した。11月の3度目の防衛戦は元東京農業大主将からプロに転向し、7戦全勝の華井玄樹(岐阜ヨコゼキ)を相手に好ファイト。3ラウンドにダウンを喫しながらも強気に挽回すると、ラウンド終盤にはダウンを奪い返し、以降も気迫あふれる攻めで7ラウンド逆転TKO勝ちを収めた。

 高山が古傷である目の上の治療のために休養し、WBOが設置を決定した暫定王座決定戦への出場が決まったのは昨年暮れのことだった。だが、会場探しは難航した。地震の影響で熊本市内の世界戦に見合った規模の会場は、ことごとく使用不可だったという。最終的に島原湾と八代海に挟まれた上天草市の協力で会場が決まった。

敵地タイでの戦いが自信になった

 プロモーターの本田憲哉・本田フィットネスジム会長が熊本開催にこだわったのは「熊本のみなさんに福原が頑張る姿を見ていただいて、元気になってもらいたい」という思いがあったから。「地元で世界戦をできるとは思っていなかったのでびっくりした。本田会長をはじめ、協力してくれた方々に感謝しています」という福原のやることは定まった。
「1ラウンドから強気にいく。絶対に勝って、ベルトを巻くだけ」

 宣言通り、立ち上がりからサウスポーの福原が積極的に攻めた。左ストレートを上下に打ち込み、右フックを返す。カジェロスもワイルドな左右のフックで応じ、試合はたちまち打撃戦に突入した。序盤は的確性で福原が上回るが、果敢な攻めは時にスリリングなタイミングを招き、気の抜けない展開が続いた。

 1ラウンドから福原が攻めるのは決して特別なことではない。福原がこれまでのキャリアの転機のひとつに挙げるのは2014年9月、元世界ランカーで、のちに高山の世界王座に挑戦することになるファーラン・サックリンJr戦。初の海外遠征で敵地タイに乗り込み、「倒さないと勝てない」と無心に攻めた。結果は引き分けだったが、内容的には勝っていた試合で、「自分のボクシングでも通用すると自信になった」という。

 その前年の13年には、のちにWBC世界ライトフライ級王者となる木村悠(帝拳=引退)、井上尚弥(大橋)の弟・拓真のプロデビュー戦の相手を務めて連敗も経験した。福原の18勝7KO4敗6分の負けはすべて東京で喫したもの。そのうちの3試合の役どころは引き立て役といったところだったが、タイで地元の主役に噛みつき、一皮むけた。

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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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