トヨタのWRC再挑戦は上々のスタート ラトバラが見せた勝者のスピリット

田口浩次

トヨタは復帰2戦目にして優勝を手にした 【写真:ロイター/アフロ】

 世界ラリー選手権(WRC)は、F1と並び、FIA(世界自動車連盟)が認可する世界最高峰のモータースポーツだ。日本では少し古い話だが、ラリーがブームを呼んだことがある。コンピュータゲームが娯楽の中心だった1995年に発売され、日本全国のゲームセンターに設置、アーケードゲームを席巻した『セガラリーチャンピオンシップ』というゲームがその発端だ。

 リアルなマシンの挙動や精密な背景描写など、その後、97年にプレイステーションで発売され、現在も人気が続くゲーム『グランツーリスモ』シリーズと同じく、リアルさを追求したドライビングシミュレーター路線の先駆けとなった。

『セガラリーチャンピオンシップ』人気は日本だけでなく世界中で爆発的に広がり、ドライブゲームのアイコン(象徴)とも呼べるゲームであった。

 このゲームに登場するマシンとして採用されたのが、当時WRCでもっとも成功していたトヨタのセリカGT−FOURと、WRCで6度チャンピオンを獲得したイタリアのランチア・デルタ。しかし、それからすでに21年の時が過ぎ、娯楽が多様化し、そもそも車への依存度が低くなってきた現在では、「WRC」はおろか「ラリー」という言葉さえ、知らない人が多数を占める。

 実際、今年2月からテレビ朝日で放送が始まった『地球の走り方 〜世界ラリー応援宣言〜』という番組では、1回目の放送の冒頭に、街なかで若者に「WRCを知っていますか?」というアンケートを取っていた。その結果、知っていたのはなんと100人中1人。95年にあったブームなど、とっくに世間からは忘れ去られていた……。

王者VWの撤退で起きた地殻変動

 そうしたなか、トヨタによる18年ぶりのWRC参戦はスタート。実際、トヨタがWRC復帰を宣言したのは、2015年の1月30日のこと。約2年間の準備期間を経て、17年シーズンから参戦。チームの指揮を執るのは、1996年から99年まで4年連続世界王者を達成したトミ・マキネン。三菱とスバルのチームで戦った経験を持ち、日本人との相性は最高。チームの本拠地はマキネンの母国フィンランドに設置された。

 しかし、開発が進むなかでトヨタに向けられた下馬評は決して高くなかった。「初めて結成したチームだけに、思うように開発は進んでいないらしい」などといったネガティブな憶測だけが表に出てくる。しかも、大事なドライバーラインアップがなかなか発表されない。当時、フォルクスワーゲン(VW)、フォード、ヒュンダイ、シトロエンとそれぞれの自動車メーカーが才能あるドライバーを完全に囲い込んだ状態にあり、すでに実績あるドライバーを獲得するのは難しかった。そうした状況もまた、トヨタの悪いニュースが発信される要因だったといえる。

 そんな状況が一変したのが、2016年の11月2日。突然VWが16年シーズンいっぱいでのWRC撤退を発表した。すでに17年シーズンに向けたマシン開発は進んでいて、ドライバーのセバスチャン・オジェは4年連続王者を獲得。チームも4年連続マニュファクチャラーズタイトルを獲得した直後の発表だった。その後、11月18日にVWから全世界の従業員の5%(最大3万人)をリストラする計画が発表され、WRC撤退はこれを踏まえた決定だったと判明した。

 こうして、突然チャンピオンチームから3人の優れたドライバーがストーブリーグのマーケットに放出された。4年連続王者のセバスチャン・オジェ(フランス)、WRC16勝を誇るヤリ=マティ・ラトバラ(フィンランド)、WRC3勝の若手アンドレアス・ミケルセン(ノルウェー)。野球で言えば、メジャーリーグ優勝チームのMVPクラスが突然放出されたようなもの。この3人が17年にどのチームと契約するのかは、世界中の注目を集めるニュースとなった。そして、トヨタが獲得したのが、マキネン代表と同じフィンランド人のラトバラだった。

「違いを知る」ラトバラの存在

 ラトバラを獲得したマキネンは、ラトバラを得たことの意味を、こう語っている。

「なによりもヤリ=マティ(ラトバラ)の経験はチームを向上させるための大きな役割を担っている。そして北欧ドライバーはスノーラリーでの経験が多くアドバンテージといえるだろう。彼のマシン開発に必要な技術的分野における知識はとても高いレベルにある。しかも、過去に数々のメーカーの車両の開発に関わってきた。フォードやVWといったトップチームのね。つまり彼は違いを知っていて、相対的な評価ができるドライバーなんだ」

 トヨタが17年シーズンの体制発表をフィランドで行ったのは、12月13日。ラトバラはわずか1カ月程の間に、チームを選択する決断を迫られ、トヨタを選んだ。また4年連続王者を獲得したオジェは、トヨタのマシンをテストする機会を得たが、フォードを選択した。ミケルセンはVWの子会社であるシュコダと契約し、WRCのひとつ下のクラス、WRC2への参戦を決めた。三者三様の選択が、17年シーズンをどう彩るのかが注目されながら、16年は過ぎ去った。

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