ロッテ・中村奨吾、伝統の「8」を背に あこがれのショート狙う覚悟の3年目
今季から背番号「8」に変更されたロッテ・中村 【写真=BBM】
“プロ野球を知る”ことができた1年目
15年オフ、今江年晶(当時:敏晃)がFAで東北楽天へ、クルーズも巨人へと移籍し、千葉ロッテの内野は一気にレギュラーポジションが2つも空いた。さらにセカンドのレギュラーと目された新外国人のナバーロが、不祥事によりチームから開幕1カ月の出場停止処分を科されていた。
16年シーズンの開幕戦、QVCマリン(今季からZOZOマリン)での北海道日本ハム戦(3月25日)で、中村奨吾は9番・セカンドで先発に名を連ねる。「チームから期待されていることは分かっていた」という中村は、2年目にして開幕スタメンの座を勝ち取った。しかし、それは飛躍への第一歩ではなく、悩み苦しむことになる苦闘の1年の始まりだった。
天理高時代からプロ野球へのあこがれは抱いていた。ただ、まだプロへの扉を開くだけの力はないと考えた中村は早稲田大へ進学し、堅守とパンチ力を備えた巧打者として着実に頭角を現していく。3年時には大学日本代表に招集され、プロの道へ進むことになる先輩たちの姿を目の当たりにし、あこがれは現実目標へとシフトしていった。
キャプテンを任された4年時、思うような結果は残せなかったものの、ただプロへ進むのではなく、ドラフト1位でプロの世界へ飛び込みたいと考えるようになる。そこには早大の同期であり、ドラフトの目玉であった有原航平(現・日本ハム)への意識もあった。
「ドラフト当日は、みんなで野球部寮のラウンジで見ていたんですけど、注目はやっぱり有原のほうが大きかった。その中で有原だけ1位で決まったら、有原も僕に対して気まずいかなって(笑)。だから自分も1位で、というのは思っていました」
ところが、ふたを空けてみると真っ先に名前を呼ばれたのは中村だった。ロッテの1巡目、単独指名――。「良くても外れ1位くらいだろうな、と思っていたので、うれしかったですね」。1巡目で4球団が競合していた有原より先に、プロで戦うステージが決まった。
1年目は開幕1軍入りを果たすと、最後まで走り抜けた。「1年を通して1軍にいること。まずはそれだけを考えていました。1軍にいないと試合に出るチャンスもない。たとえ試合に出られなくても、1軍にいなければ得られない経験がある。シーズンの流れをつかむことができる。課題や足りない部分はたくさんありましたけど、”プロ野球を知る”ということはできました」。最低限の、しかし確かな手応えをつかんで臨んだ2年目のシーズンだった。
自分の打撃を見失い2軍落ちを経験
昨季5月5日の楽天戦で3ランを含む4安打3打点の大活躍。しかしこの後から不調に陥る 【写真=BBM】
ナバーロが復帰してからも主戦場をサードに移しながらスタメンの座は譲らず。5月5日の楽天戦(Koboスタ宮城)ではダメ押しの3点本塁打を含む4安打3打点、6出塁4得点の爆発。チームの逆転勝利に大きく貢献した。しかし、「ゴールデンウイークまででしたね……」。その日を境に、ピタリと当たりが止まる。
翌6日からの1カ月は、55打数で単打ばかりの4安打、打率0割7分3厘。スタメンから名前が消え、6月8日にはプロ入り後、初の2軍落ちを告げられた。「打てなくなるといろいろなことが気になり始めて、それで自分のバッティングの”芯”を見失っていった」。
打席での制限が少なく、のびのびとスイングすることができるファームでは、力の違いを見せつけた。しかし、最短の10日で昇格したものの、トップチームに戻ると再び自分を見失う。バント、右打ち……場面に応じてチーム打撃のサインが出ると、満足に対応することができない。
「4月のころは、とにかくやってみて、それから何ができたのか、できなかったのかを考えていた。それが5月以降は体を動かす前に、まず頭で考えてしまっていたんです。なんで打てないんだろう、どうしたら打てるんだろう――そんなことを考えながら打席に立っているうちに、どんどん体もついてこなくなってしまって……」
出口が見えないまま、打率はみるみると下降していき、ついには2割を切る。8月4日に2度目の登録抹消。このときも2軍戦では快音を響かせたが、19日に再昇格しても状況は変わらない。
メンタル面のダメージも蓄積していき、「打てなくてもできることは必死に、チームに迷惑をかけないように」と取り組んでいた自慢の守備でもほころびが生じていった。「2割も打っていない選手が、守備でもミスをしてしまってはもう後がない。また落ちるだろうなって思っていたんですけど」。9月を迎える前に、三たび降格の雰囲気が色濃く漂っていた。
しかし、チームから2軍での調整を言い渡されたのは、同時期に不振をかこっていたナバーロだった。「ギリギリで残してもらった。試合数も少ないし、このシーズンのうちにこれまでのミスを取り返すことはもうできない。そう思ったら逆に吹っ切ることができました」。ようやく、中村が前を向くことのできた瞬間だったのかもしれない。