福井工大福井は常勝軍団へ道半ば 受け継がれる中田翔、森友哉の指導法

沢井史

静岡での挫折を経て母校コーチへ

福井工大福井は昨秋の北信越大会で優勝。明治神宮大会では履正社に敗れるも接戦を演じた 【写真は共同】

 昨秋の北信越大会で優勝し、2年連続のセンバツ出場を決めた福井工大福井(福井)。同大会4試合で31得点をたたき出した強力打線が看板だ。その打線を支えるのが田中公隆コーチ。2013年春から打撃指導を中心にチームに携わるが、それまでは母校の大阪桐蔭(大阪)で中田翔(北海道日本ハム)、森友哉(埼玉西武)など多くの強打者をコーチとして指導してきた。

 大阪桐蔭では同校が初優勝した91年夏の甲子園で、控えキャッチャーとしてベンチ入り。最終学年になった翌夏は近大付に府大会準決勝で敗れ、聖地へ優勝旗を1人で返還に行った。卒業後は福井工大に進み、4年になると主将を務めた。卒業後は静岡学園(静岡)に赴任。4年間コーチを務めたのち、2年間監督を務めた。就任直後の秋の県大会で優勝し、東海大会に進むも初戦敗退。以降は県内でもなかなか結果が出せなかった

「若い時に監督をさせてもらったことは今では良い経験になったとは思います。でも、あの時は力不足で何もできなかった。高校までは大阪で大学は福井。何も知らない静岡に来て、県の仕組みも熟知していなくて、気がついたら4年が過ぎていて……」

 静岡に来て6年が過ぎた頃に、母校で長らく指導してきた恩師の長沢和雄氏が勇退。西谷浩一監督が就任するタイミングで打診があり、03年春に母校のコーチに赴任した。ちょうどその時期は前年夏に11年ぶりに甲子園出場を果たし、復活の道をたどり始めていた。さらに4月からは平田良介(中日)が入学。2年後に中田が入学するなど、のちに球界を代表することになる強打者が次々に大阪桐蔭の門をくぐってきた。

度肝を抜かれた森のホームラン

 田中の指導のポリシーは型にはめないこと。基本的なことは大事にしつつも、手取り足取りといった指導は身上としていない。

「一番大事なのは“振ること”です。ただ、個々によって体の大きさやパワーの違いもあるので、自分の能力に合った振り方をしているか。自分の思っている形より、自分の体をフルに活用してスムーズに使えているかは必ずチェックしますね」

 体の軸、下半身の使い方。教科書通り振っていても自身に合っていなければその子のスイングではない。一見、きれいに振っている子でも、実際はきれいに振れていない場合もあるため、まずは強く振らせて、その子に合った形をアドバイスしていく。

 今まで指導した打者の中では、やはり森は異質な存在だったという。

「あれだけ理にかなっている振り方ができる選手はそういないですね。反対にこちらからは何も手を加えなかったし、打撃が崩れかけても木で打たせたり逆方向に打たせたら、すぐに修正できる打者でした。2年春(センバツ準決勝・健大高崎戦)に左中間にホームランを打ったでしょう。あれで度肝を抜かされました。その後に、あの振りで右中間にも抜けないとアカンぞって言ったら夏の甲子園で右中間に打てましたからね」

 12年の春夏連覇メンバーで、昨年同志社大のキャプテンだった白水健太は、田中コーチについてこんな話をしていた。

「基本的には余計なことは言わないんですけれど、自分たちに合った指導をしてくれるんです。打てた時も、なぜ打てたのか自分たちに分かりやすく説明してくれるし、ダメな時はがっちりした教え方ではなく、アドバイスしながら話を聞いてくれる。大学に行っても、田中先生(コーチ)にもっと教えてもらいたいって思うほどでした」

 何より教え子からの人望が厚い。今や大学生や社会人になった教え子たちは充実した高校野球生活を歩めたのは、そろって「田中先生がいたから」と口にする。基本的にグラウンドでは険しい表情を浮かべることがほとんどで、「現役の時は怖くて仕方なかった」という。それでも今でも連絡を取り合う選手が多いのは、田中コーチの人柄を表している。

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著者プロフィール

大阪市在住。『報知高校野球』をはじめ『ホームラン』『ベースボールマガジン』などに寄稿。西日本、北信越を中心に取材活動を続けている。

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