東海大仰星が選手権で貫くコンセプト それぞれの立場で語る“チーム仰星”

中田徹

キャプテン松井がラグビー部主将から受けた刺激

3回戦で富山第一を2−0で下し、準々決勝進出を決めた東海大仰星 【写真は共同】

 東海大仰星(大阪)は非常にプレーの強度が高いチームだ。相手がボールを持つと素早く距離を詰め、激しい守備で奪い返す。1月3日に等々力競技場で行われた第95回高校サッカー選手権3回戦では、連戦の疲れもある中、球際での強さを発揮して富山第一(富山)を2−0で破った。これでベスト8進出だ。

 しかし、主将のMF松井修二は「前半からどんどん相手陣地で攻撃できたのは良かった。しかし、ゴールに対する“矢印”が少ない。チャンスでシュートをもっと決めないとダメですね」と5日に行われる準々決勝の東福岡(福岡)戦を意識して気を引き締めた。

 昨年、日本一に輝いたラグビー部は、同じく3日に行われた東京戦に勝ち、ベスト4進出を決めた。

「ラグビー部の一番の目標は全国優勝。しかし、私たちは見てもらったら分かる通り、そこまで器用なチームではないですし、来年また全国大会に必ず出ることができるチームでもありません。やはり目の前のトレーニングに真摯(しんし)に向かい合うこと、目の前の試合のために良い準備をすることが大切になってきます」(中務雅之監督)
 
 中務監督によると、ラグビー部へのライバル心は一切ないのだという。

「グラウンドはラグビー部とサッカー部で半面ずつ使っています。ラグビー部は部員が110名、サッカー部は120名ぐらいいます。練習メニューは限られますが、ラグビー部とともに切磋琢磨(せっさたくま)しながら高め合う関係性を築いています」

 松井はラグビー部の主将、山田生真から大きな刺激を受けている。

「ラグビー部は去年、日本一になりましたが、勘違いしていないというのが学校生活でも見られる。クラスメートにもラグビー部はたくさんいる。ラグビー部の主将と一緒のクラスなんですが、やっぱり学校生活での取り組みがすごく良い。見習わないといけないところもある。クラス内だけでなく、他のクラスともコミュニケーションを取っています。この1年間、ラグビー部の主将の存在は刺激になりました」

どの部活も関係なく、お互いを応援し合う

 中務監督によれば「“チーム仰星”が学校のコンセプト」なのだという。同校のホームページには、こう記されている。

「まるで一つのteamのような学校です。ここでいう『team仰星』は、仰星に関わる全ての人のこと。仰星では、同級生、先輩後輩、先生…年齢を越えたつながりを大切にしています」

 2回戦の対鹿島学園(茨城)を目前に控え、父兄や登録外選手たちの世話に忙しくしていた市田昌平先生は“チーム仰星”をこう語る。

「私がこの学校に赴任した時には“チーム仰星”のコンセプトがすでにありました。今は花園でラグビー部の応援、(1、2回戦は)三ツ沢でサッカー部の応援、そして受験の時期ですから私たち教員は学校で、生徒の勉強をサポートしています。学校が大阪にあるものですから、サッカー部の応援はどうしても少なくなってしまいますが、“チーム仰星”は3箇所に分かれて大忙しです」

 バックスタンドから声を枯らすサッカー部員、長谷川涼太は「全員がひたむきに、部活も勉強もキッチリやるというのが“チーム仰星”です」と言う。文武両道の校風がこちらにも伝わってくる。

 市田先生は「うちの生徒に授業中、寝る子なんていませんよ。でも教員も、授業に関心を持ってもらえるよう努力しないといけません。私は数学の教師ですが、学校ではiPadを使った授業が始まります。私は歳も歳ですので、その前の研修で大変です」と語る。

 中務監督も、普段は“社会科の中務先生”である。

「私はこの学校に指導者として雇われているわけではありません。仰星を選んでくれた生徒たちに対して、できるだけ興味を持ってもらえるような資料を集めて、授業を行っています」

 これから大学受験を控える左サイドバックの面矢行斗は「授業は面白いですね。物理の先生は、教室に実験道具を持ってきて、面白いことをやってくれる。みんなで手をつないで静電気をバチバチ感じる実験は面白かった」と振り返る。

「どの部活も関係なくお互いを応援し合うのが“チーム仰星”です」という言葉は今回話を聞いた中で、何人もの口から出てきた。吹奏楽部もまた“チーム仰星”の一員として運動部をサポートしている。ここまで、吹奏楽部は毎試合40名がスタジアムに駆け付け、美しい音色を響かせている。だが、吹奏楽部も運動部からサポートされる側に立つこともある。松井は言う。

「1年に1、2回は吹奏楽部の演奏に行かせてもらっています。吹奏楽部も大阪からわざわざこの神奈川に来てくれている。僕らは試合で全力を出したい」

「サッカー部が家族を救ってくれた」とマネージャー

 選手の父兄かと思って声をかけたところ、マネージャーを務める新里百音の家族に出会った。

「学校のグラウンドが見えるマンションに住んでいて、そこからいつも見ています。仰星の生徒は礼儀正しくて、あいさつもキチンとしてくれます。他の部活の生徒もサッカー部の応援に来てくれて本当に感謝しています」(母)

「“雑草魂”の上原浩治(野球部OB、シカゴ・カブス所属)がそうでしたが、選手たちは有名ではなく、飛び抜けて素晴らしいわけでもないけれど、みんなで協力して頑張って勝つ。それが東海大仰星です」(父)

「百音の兄もサッカーをやっていて、(百音に)リフティングを教えました。マネージャーの割に上手ですよ」(母)

「楽しそうに家に帰ってくる時もあるけれど、燃え尽きている時もある。選手のみなさんに優しい声をかけたくても、かけたら甘やかすことになるから厳しく言っているらしいです」(兄)
 
 新里は1年の終わり頃、同級生のサッカー部員に声をかけられてマネージャーになった。最初は1カ月の体験入部だった。楽しくもあり大変なこの仕事を、続けるかどうか悩んでいた時、3月14日のホワイトデーにサッカー部員全員からお菓子をもらった。「あと2年間、よろしくお願いします。全国行きましょう」と書かれた手紙を読んで、「これは入らなあかん」と入部を決意した。

「あの時はいろいろな思いがありました。こうやって家族が全国大会に来てくれるなんて2年前には考えられなかったことです。実はあの時期、家族がバラバラでした。私も学校を辞めようかと思うぐらい悩んでいました。

 ちょうどその時に、サッカー部に勧誘されたんです。『もしかしたら自分を変えられるかもしれない』と思ったのも入部を決めた理由のひとつです。兄がサッカーをやっていたので、私がサッカー部に入れば、また家族がひとつになれるかもしれないと思いました。仰星サッカー部が私の家族を救ってくれました」

 新里の話を聞いて、ふと思う。東海大仰星は“チーム仰星”を名乗っているが、誰にでも“チーム”はあるのだと。人は決して一人で生きていけないから、お互いを支え合って“チーム”を作っている。家族もまた“チーム新里”のように呼べるのかもしれない。“チーム仰星”とは、人としての根本の部分を表しているような気がしている。
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著者プロフィール

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

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