過酷な環境でも揺るがない旭川実業の信念 「全国レベル」の力を持ち続けるために
道外出身選手が語る特殊な環境
市立船橋高との練習試合では、インハイ王者相手に旭川実業(えんじ)の選手たちは気迫のプレーを見せていた 【安藤隆人】
「僕の父親が北海道出身で、登別大谷高校(現在は室蘭大谷高校と統合し、北海道大谷室蘭高校となっている)から関西の大学に進んだんです。そこからずっと関西で生活していて、僕も兵庫県の芦屋市で育ちました。父親と富居監督が高校時代に北海道選抜でチームメートだった縁もあって、旭川実業に来ました。
雪や寒さは覚悟していたのですが、ここまでの雪だとは思いませんでした……。自分の身長より高いくらいの雪が積もって驚きました。寒さも尋常じゃない寒さでした。周りのみんなは慣れている感じがあったのですが、僕は違ったので、めちゃくちゃ大変でした。とにかく寒くて体が動かないんです」
中里にとっては、大雪の中でチームメートが平然とサッカーに打ち込んでいる姿は衝撃的だった。そして、初めての経験となった雪中サッカーはさらなる衝撃を与えたようで、「中学の時に芦屋浜の砂浜でたまに練習をやっていたのですが、それとは全く質が違いました。本当にキツかったです」と振り返る。
さらに痛感したのが、北海道の広さだ。同じ北海道内で練習試合をするにも、かなりの移動距離を要する。さらに冬場は前述した通り、普段の練習すらも長時間移動を伴う。
「中学時代は片道1時間の移動でも『長い、長い』と言っていましたけれど、2〜3時間の移動は当たり前なのでびっくりしました。それでもチームメートは平然とやっていました」
中里はいかにこれまでの自分が恵まれた環境にいたかを痛感した。しかし、衝撃を受け続けた日々もまた、日常になっていく。
「フェリーに乗ったのも初めての経験でした。でも、さまざまなことを経験することで、精神的にも鍛えられますし、より『自立』ができると思います。すごく大事な環境だと思っています」
北海道で2年間を過ごした今、中里はもう立派な北海道人となり、旭川実業の選手としてたくましくプレーしている。
過酷な日々は大きな財産に
市船との練習試合後は茨城県の大洗まで移動し、そこから苫小牧まで一晩かけてフェリーに乗り、再び陸路を走って旭川に戻った。そして、数日後、再びバスに乗って本州にやってきた。次に北海道へ帰るのは、選手権が幕を閉じてから。長期滞在になるのか、少し短い滞在になるのか。いずれにせよ、彼らが過ごした過酷な日々は、人生において大きな財産になっていることは間違いない。それは苦楽を共にしたあのバスに深く刻まれている――。