連載:東京五輪世代、過去と今と可能性

課題を成長の糧に変える中山雄太 東京五輪世代、過去と今と可能性(2)

川端暁彦

U−19日本代表のディフェンスリーダー、中山雄太。U−20W杯、東京五輪に向けて何を思うのか 【スポーツナビ】

「U−23」という独特のカテゴリーで行われる五輪の男子サッカー競技。2016年夏、リオデジャネイロへ挑んだチームは無念のグループリーグ敗退に終わったが、自国開催となる4年後の東京五輪で同じ結末は許されない。「金メダル」を目標に掲げるチームの中核を担うのは、現在「U−19」の選手たちである。この連載では、そんな「2020年」のターゲットエージに当たる選手たちにフォーカス。彼らの「これまで」と「未来」の双方を掘り下げてみたい。

 第2回に取り上げるU−19日本代表のDF中山雄太は、10月に行われたAFC U−19選手権で日本の初優勝に大きく貢献したディフェンスリーダーだ。「いま、東京五輪世代でA代表に一番近い選手は誰か?」というテーマで議論を交わせば、必ず名前が挙がるであろう選手である。リオ五輪のアジア予選予備登録メンバーにも飛び級で入っていた逸材は、どういう過程で今日に至ったのか。来年5月に開幕を控えるFIFA U−20ワールドカップ(W杯)、そして東京五輪に向けて何を思うのか。

U−20W杯はターニングポイントになる

2016年はU−19日本代表で国際舞台での経験を多く積んだ(写真は3月のトレーニングキャンプのもの) 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

――リオ五輪代表での手倉森誠監督の構想の大枠には中山選手も入っていました。

 そこは、意識していました。五輪に(飛び級で)出る選手は、過去を見てもそういないですよね(編注:出場が23歳以下に制限された1992年のバルセロナ大会以降、飛び級で五輪に出場したのは、94年アトランタ大会の中田英寿と松田直樹、04年アテネ大会の平山相太、08年北京大会の香川真司の4人のみ)。

 周りからは「東京、東京」と言われていましたけれど、僕としては「まずリオがあるのだから、リオを狙いたい」と思ってやっていました。去年はチーム(柏レイソル)でもそこまで試合に出ていなかったので、周りに向かって「リオに出たい」と言えるような状況ではなかったですが、「やるからには、まずリオを目指す」と。おかげで意識もより高く持てましたし、自分の中では大切な要素だったと思います。

――今のターゲットは17年のU−20W杯ですか?

 そうですね。よく東京五輪について聞かれるんですけれど、やっぱり、自分としてはまずU−20W杯について考えています。そこでどう結果を出すか、自分がどれだけやれるかを意識しています。自分にとって1つのターニングポイントになるのではないかなと思います。

――今年はブラジルやフランスのU−19代表と対戦するなど、国際舞台での経験を多く積みました。

 海外のレベルの高い選手とやるのはワクワク感しかないです。もう、そういう気持ちが満ち溢れてきます。いまも早くU−20W杯に出たいという気持ちが一番ですし、そのためにも日々の練習を大切にして、「アイツは呼ばなくちゃいけない」と思われるような選手にならなければいけないと思っています。

――U−20W杯で対戦したい国はありますか。

 ヨーロッパ王者で今年何度も試合をしているフランスとはまたやりたいです。でも、チームメートからは「イングランドはもっと強かった」という話を聞きました。僕は昨年のイングランドとの親善試合には出ていないので、是非やってみたいです。あとはアフリカですね。試合をしたことがないので、どうなのかなと。

――フランスの印象は?

 個人の能力も高いんですけれど、サッカーがすごく大人だと感じました。速攻と遅攻の使い方だったり、決めるべきところを決めてくるのはやっぱり日本と違うなと。あとはドリブル1つ、トラップ1つにしても独特で、クオリティーが高い。隙を見せたらすぐにつけ込まれるという感覚は試合中ずっと感じていました。

中学3年までは地元の中学校でプレー

 19歳とは思えぬ落ち着いた語り口、しっかり者という印象に違わず、中学校時代は委員長なども務めたリーダー肌だ。サッカーに打ち込みながら委員長などの仕事もキッチリこなしていたという。もっとも、本人は「立候補ではなくて推薦でしたから。正直やりたいと思っていたわけではありません」と笑う。「やるからにはちゃんとやろうと思ってやっただけ」という言葉には、周囲からそろって評価される「努力家」という個性がのぞく。ただ、そのキャリアは少々異色である。

――小学校時代は地元である茨城県の少年団でプレーしていました。

 北文間小学校にある普通の少年団です。兄も通っていたチームで、自然とそこに入りました。特に強くはなかったですし、当時の自分は全日本少年サッカー大会についても知らないくらいでした。テレビでやっているのを見て、「クラブチームの大会なんだな」と。実は自分たちも予選に出ていて負けていただけなんですが、それすら分かっていなくて(笑)。

――中学に進んでからも、当初は龍ケ崎市立愛宕中学校のサッカー部に入部しました。

 高校は流通経済大柏か市立船橋に行きたいと漠然と思っていました。でも、中学2年のときに県トレセン(地域の優秀選手を集めて行う選抜練習会)の練習試合で、柏レイソルのU−15チームと試合をする機会がありました。その試合が終わった後に柏から「うちに来ないか?」という話があり、中3に上がるときから柏へ通うことになりました。

 現在トップチームを指揮する下平隆宏監督によれば、試合後に柏のスタッフ間で「あのボランチは誰だ?」と話題になるほどのプレーぶりだった。それくらい傑出したタレント性を見せており、すぐに声を掛けようという話になったそうだ。ここから中山は少しずつプロ選手へ向けた歩みを加速させていく。

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著者プロフィール

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』をはじめ、『スポーツナビ』『サッカーキング』『フットボリスタ』『サッカークリニック』『GOAL』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。近著に『2050年W杯 日本代表優勝プラン』(ソル・メディア)がある

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