燕のオールドルーキー菊沢を支えた言葉 『Never Too Late』の精神
「今からでも遅くない」を大切に
社会人軟式野球チームの相双リテックでは「環境がとても良く、野球に集中させてもらっていた」と語り、わずか1年で球速が5キロ上がるなど急成長を遂げた 【写真提供:相双リテック】
「小学生のころ、能代工業の試合を見に行ったことがあるんです。僕はバスケをすることはなかったけど、今からでも遅くないという言葉は大切にしています。今でもバスケは見ますよ。NBAのゴールデンステイト・ウォリアーズのステフィン・カリーが好きです」
実は菊沢の兄・翔平さんも能代工高バスケットボール部OB。菊沢はバスケット経験はないものの、親しむ環境にあった。翔平さんは現在、関東実業団の曙ブレーキ工業でプレーを続けているという。
1988年生まれ。ヤンキース・田中将大やセ・リーグ首位打者の巨人・坂本勇人ら、同世代には大物プレーヤーがいる。
「すごい選手ばかりです。次元が違います。特別な意識はないけど、抑えたい」
尊敬する選手は沢村賞に2度輝いた元福岡ソフトバンクの斉藤和巳氏。ヤクルトでは、菊沢と同じく右肘の手術から復活した館山昌平にあこがれ、相双リテックで館山と同じ背番号25を選んだほどだ。
「僕は手術は1度だけど、苦労した思い出があります。館山さんは何度も手術している。ケアとか、ケガしたときのモチベーションとか、いろいろ聞きたい。由規投手の復活を見て、ヤクルトは選手を大切にする温かみのある球団という印象があります」
10月26日。相双リテック本社で、鳥原公二チーフスカウト(当時)から指名あいさつを受けた。会場は8階の会議室。菊沢は鳥原スカウトを待つ間、エレベーター付近に置かれた報道陣の靴をきれいに並べていた。
「野球部で整理整頓はしっかりやろうと決めています。大事なことだと思っています」
ヤクルトなどで監督を務めた野村克也氏の持論として、「目配り、気配り、心配りをせよ」という言葉があった。ノムラの考えも、プロ入り前から実践。燕のオールドルーキーがプロの門をたたく。
(取材・文=吉村大佑/サンケイスポーツ)