錦織が苦手な質問“何年後までに……” 一直線に信じる世界1位への道

内田暁

錦織を困らせる質問「何年後シリーズ」

世界ランク5位で2016シーズンを終えた錦織 【写真:ロイター/アフロ】

「まあ……2〜3年以内には、グランドスラム優勝したいですね」
 口にするのをやや躊躇(ちゅうちょ)したかのような間を挟みつつ、錦織圭が控え目な口調でそう言ったのは、約1年前のことだった。「何年後までに、何を達成したいというような目標設定はありますか?」と聞いた時のこと。答えるやすぐに、「でも正直、この質問が一番困りますね。得意じゃないですね、何年後シリーズ」と続けて、彼は心底困ったような笑みを浮かべた。

 この「何年後シリーズが苦手」という言葉は、錦織というアスリートの哲学をひも解く糸口でもある。
 将来の目標を「世界チャンピオン」と彼が明記したのは、小学校の卒業文集であった。その1年半後、盛田正明氏の援助を受け米国フロリダ州のIMGアカデミーに渡った後も、彼は純粋に、世界1位の夢を追い続けた。それは誰もが、無垢(むく)に信じ続けられた夢ではない。同じアカデミーに籍を置く友人やライバルたちですら、一人またひとりと諦め去っていく後ろ姿を、彼は幾度も見てきたはずだ。それでも錦織は、前へ進み続けてきた。
 なぜそれができたのか……という問いも、どうやら彼を困らせる。「純粋に1位になりたいと思っていただけで、ほんと一直線だったんですよ。他のことを考えたりしなかったので、1位を目指すことを何にも不思議に思っていなかった」。それが、彼がなんとか絞り出した答えだ。

「現実には、1位が見えていたわけでは全くなかった」とも彼は振り返る。それでも進む道のその先に、目指す地点があることは分かっている。だからこそ、常に少し先に目印を見定めてはそこに達することで、彼はモチベーションと達成感の両輪を回してきた。
 そのような足跡は、プロ転向後から今日に至るまで変わらぬ、錦織の一貫した流儀だ。肘の手術でシーズンの大半を棒に振った2009年以降、錦織の年間最終ランキングは98位(2010年)、25位(2011年)、19位(2012年)、17位(2013年)、5位(2014年)、8位(2015年)、そして5位(2016年)と、2015年を除けば毎年着実に伸ばしてきた。それもその時々で、小刻みに立てたランキング上の目標を一つひとつクリアしながらである。彼は、最終目的地までの距離を目算し、そこに到るまでの道程を逆算するタイプではない。目の届く先に立てた旗を目指しては、たどり着くたびにまたその旗をさらに先に立てるようにして、彼は多くの人々が離脱した山道を、ここまで登ってきたのだった。

変化を求めて 破ったトップ10の壁

錦織に、「足りない何か」を教えたチャンコーチ(左)。写真は2016年全豪練習時のもの 【写真:ロイター/アフロ】

 その錦織が、最も厚い壁に突き当たったのが、13年のことだった。トップ10入りを目標に掲げたこの年、6月の時点でランキングは11位に達しながらも、どうしても最後の一歩が突き破れない。彼が抱えたプレッシャーの大きさは、トップ10入りを目指し挑んだ8月の全米オープン1回戦で、当時179位のダニエル・エバンズ(英国)にストレートで敗れるという結果として、最も明瞭に顕在化した。

「燃え上がるものがない」「スランプかも……」

 それまで認めることのなかった苦しみを、彼は公の席でポツリポツリと吐き出した。

 その彼が、1989年全仏オープン優勝者のマイケル・チャンをコーチとして招へいすることを発表したのは、全米初戦の敗戦から約3カ月後のことである。正式にコーチ就任が決まったのは13年末だったが、実際にはコーチ探しは、同年の半ばごろから始まっていた。

「トップ10に行くには、何かが足りない」
 そう感じていた錦織は、壁を打ち破るために必要な……しかし自分一人では見定めることのできない「エキストラな何か」を教えてくれる人物を、いつしか求めるようになったという。そうして白羽の矢が立ったのが、小柄な身体でイワン・レンドルやステファン・エドバーグ、ボリス・ベッカーらが築いた上位勢の城壁に穴をうがった、チャンであった。そのチャンの導きのもと14年シーズンの錦織は5月のマドリード・マスターズで準優勝し、ついに1年にわたって跳ね返され続けていたトップ10の壁を撃破。さらには9月の全米オープンで決勝まで勝ち上がり、その地位を確固たるものにしたのだ。

 チャンコーチがもたらした、“エキストラな要素”とは結局何だったのか? その一つは、精神面。「メンタル面が足りない」と感じていた錦織にとり、トップ10もグランドスラム優勝の味も知っているチャンの言葉は、間違いなく自分を信じる根拠となった。同時に「技術面で改善する所は、そんなに無いと思っていた」のに、実際には多くの技術的な変更を指摘され、結果、「変えたら良すぎてビックリした」ことも錦織は認めている。
 ちなみに14年の全米オープンの準優勝後、彼のランキングは当時の自己最高の8位到達。以来2年間、錦織は一度も、ランキングを8位より落としていない。

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著者プロフィール

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

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