歴史を変えた東京五輪世代の選手たち “U−19病”を克服、かみ合った歯車
山場はグループステージに訪れた
準々決勝で圧勝して世界大会への切符をつかんだが、グループステージの山場を乗り越えたからこその勝利だった 【佐藤博之】
イエメンとの第1戦を3−0でものにして迎えたイランとの第2戦。イランが手強かったのも確かだが、それ以上に日本の出来は芳しいものではなかった。内山監督の言葉を借りれば、「50点以下」。個々人の強い思いが悪い方向に作用しており、「積み上げてきたものをまるで出せていない」と指揮官を嘆かせる内容に終始してしまい、0−0の引き分け。それも「何度も決定機を作らせてしまった」(冨安)末でのドローで、試合後のチームには敗北感のようなものすら漂っていた。「正直、雰囲気は良くなかった」と小川も言う。
ただ、雨降って地固まるという言葉もあるように、勝負事に対してどこかフワッとした部分のあったチームにとって、「前回王者カタールに第3戦で勝たなければいけない」というシチュエーションに陥ったことはむしろポジティブに作用した。練習の温度感が変わり、個を押し出すのではなく、もう一度監督のやりたいサッカーを尊重しながら、その上に個人の判断を乗せていくという考え方が浸透。サッカーの基本といってしまえばそうなのだが、時間の限られる上に突出した個性の集まる代表チームではしばしば忘れられてしまう部分でもある。例えば、自身の調子の悪さにイラ立つ様子もあった堂安もこの試合を前にして「自分が活躍できなくとも、まずチームが勝てばいい」と割り切れるようになっていた。
結果、カタール戦は練習でやったことがそのまま出るような得点も生まれて3−0と快勝。チームの歯車がようやく噛み合ったゲームを経て、山場のはずだった準々決勝ではタジキスタンに4−0と圧勝し、世界大会への切符を見事につかみ取った。準々決勝だけを切り取れば拍子抜けするような試合に見えるかもしれないが、それもグループステージ第3戦を前にしてあった山場を乗り越えたからこその勝利である。続くベトナムとの準決勝を控え組中心のメンバー構成で3−0と制したチームは、サウジアラビアとの決勝に臨んで0−0からのPK戦を5−3で制し、見事に初優勝という結果を残すこととなった。
U−20W杯へ、選手たちが得た危機感
結果が出たのだから内容はどうでもいいということもない。決勝のサウジアラビア戦を取り上げれば、幾度も決定機を作られてしまった試合内容は決して褒められたものではなかった。守備では個の対応で後手に回り、攻撃はほとんど形にならず、準決勝で主力を温存してコンディション面で優位にあったにもかかわらず、走り勝てなかった事実は無視できない。
ただ、球際で激しく圧力をかけてくるサウジアラビア代表のアフリカ系の選手たちのパワーとスピードに苦しんだ内容は、言ってみれば世界大会の予行演習のようなもの。「ああやってガツガツくる相手をどういなすか」(堂安)という宿題を得て、「もっともっと成長しないといけない」(小川)という危機感を各選手が得られたことは、若い彼らにとって決してマイナス要素ばかりではあるまい。
日本が10年ぶりに出場するU−20W杯は来年5月から6月にかけて韓国で開催される。世界中の猛者が集まる舞台へ向けて、チーム内での切磋琢磨(せっさたくま)は当然として、各人がJリーグの舞台でどれだけの成長を示せるか。U−20という枠を飛び越えてA代表に招かれる選手が出てくる。それくらいのブレイクスルーを期待したいし、そうでなくては日本サッカーの未来も開けてはこない。