DeNA三浦大輔、引退会見もリーゼント 辞める理由は「勝てなくなったから」

ベースボール・タイムズ

トレードマークのリーゼントで引退会見に臨んだDeNA三浦 【写真は共同】

 横浜DeNAの三浦大輔が20日、神奈川・横浜市内で会見を開き、25年の現役生活から引退することを発表した。トレードマークのリーゼント姿で登壇し、無数のフラッシュを浴びながら、「勝てなくなった」ことを引退の理由に挙げた。引退試合は、今季の横浜スタジアムでのシーズン最終戦である24日の巨人戦で先発する予定。

 三浦は1991年、奈良・高田商高からドラフト6位で大洋(現DeNA)に入団。2年目に初勝利を挙げると、98年には12勝を挙げてリーグ優勝、日本一に貢献した。トレードマークのリーゼントから“ハマの番長”として親しまれ、7度の2ケタ勝利を記録した。2015年には23年連続勝利の日本プロ野球最長タイ記録を樹立。タイトル歴は97年には最高勝率、2005年には最優秀防御率、最多奪三振。通算成績は534試合172勝183敗0S、防御率3.58。

横浜一筋25年の現役生活を引退

以下は会見の様子。

三浦 本日は雨の中お集まりいただきありがとうございます。私、三浦大輔は今シーズン限りで現役から引退します。高校(奈良・高田商高)を卒業して、横浜大洋ホエールズに入団し今年で25年目、25年間、本当に横浜の街で育てられて、たくさんの方に応援していただき、ここまでやってくることが出来ました。うれしかったこと、苦しかったこと、いろいろありましたけど、本当にいつもみなさんに支えられて、一歩ずつ進むことができました。

 昨日、CSに出場することも決まり、自分の気持ちも今シーズンを全うして終わろうという気持ちで突っ走ってきましたので、残りもう少しシーズンありますが、クライマックスと1日でも長く今のユニホームを着て、今の選手たちと戦えるようにやっていきたいと思います。本当にいろいろな思いがありますけど、感謝の気持ちでいっぱいです。

高田繁GM 16日の甲子園での阪神戦が終わった後に、ホテルで私と(池田純)球団社長と(ラミレス)監督の3人が揃ったところで、三浦選手から現役を引退したいという申し出があった。この決断をするまでには三浦選手は大変悩んで、いろいろと考えたでしょうし、考えた末の決断だと思いますので、了承するしかなかった。チームにとっては本当に大きな大きな柱を失うことになるのでチームにとって痛手ですけど、今後ともチームの力になってもらいたいと思っています。

引退は「最終的に自分で決めた」

9月16日の阪神戦で今季2度目の先発も、5回途中2失点で2敗目を喫した三浦。ほぼ引退を決めていたが、もう一度勝負したいという気持ちで臨んだという 【写真は共同】

以下は三浦との一問一答

――25年間本当にお疲れ様でした。引退を決意され、今の率直な気持ちは?

 いろいろ考えて、考えて、決断してからもまだ伝えられてなかった方にもこの場で伝えられて、ちょっとスッキリしています。

――まだやれるだろうという声があるなかで、引退を決断した理由は?

 勝てなくなったからです。常日頃、引退という文字は今年だけでなく、数年前から頭にありましたけど、まだできる、もっともっと勝ちたいという気持ちがあって、先発が出来なくなったら、勝てなくなったら辞めると決めていました。今年7月に(今季)初登板させてもらったときに打たれて、8月まで(1軍から)声がかからず、そのときにはほぼ(引退の)気持ちは固まっていました。

 ただ、もう一度勝負したいという気持ちがあったので、9月の頭に甲子園での先発を言われて、それまでは球団にも伝えないでおこうと決めていました。そういう感情を抜きに真剣に勝負したいというところで、その時点では勝とうが負けようが今シーズンでという気持ちもどっかではありました。まぁ、言いたいけど言えないモヤモヤはありましたね。

――引退を決断するにあたり、相談した人は?

 もちろん家族には話をしましたし、最終的には自分で決めました。

――奥さまの反応は?

 残念がっていましたね。女房も子どもたちも、まだできるんじゃないの、と。でもプロの世界は厳しいですから、その辺はしっかり言って、やり残したことのないように、精一杯やるという気持ちで、(9月に登板した)この間の甲子園では、わざわざ甲子園にまで観にきてくれたので、その前で投げられたのは良かったですね。

――チームメイトにはいつ伝えた?

 昨日の試合後に伝えました。昨日の試合後に伝えると決めていました。会見前にみなさんに言いたかったので、その前にCSが決まって正直、ホッとしました。決まって喜んでいる中でこういう報告するのはどうなのかなと思ったんですけど、チームメイトに伝えられて良かったですね。

――どのような言葉をかけられた?

 正直、引退するといった後に途中から何を言っているのか自分自身も分からなくなって。でも伝えたあと、「本当ですか」「まだ辞めないでください」というような言葉を後輩からかけられて、うれしかったですね。

――25年間、現役を続けられた支えは?

 まさかプロに入ったときに25年もやるとは思っていなかったですし、1年1年が勝負と思ってやってきましたし、打たれたら悔しい、負けたら悔しい、勝ちたいという思いがあったからこそ苦しい練習もできましたし、試合で勝ったときにたくさんのファンの方が喜んでくれた。あれが一番うれしかったですね。もう一度勝って一緒に喜びたい。負けたら悔しいからもっと練習するしかないと思ってやってきた25年間でしたね。

――25年のなかで1番の思い出は?

 ひとつになかなか絞れないですけど1998年の優勝ですかね。優勝ってこれほどうれしいものなのか。すべてが報われた。1年間のしんどいことが吹き飛んだというか。98年の優勝は最高にうれしいものでしたね。

「今の満員のハマスタがうれしい」

2012年7月の巨人戦で通算150勝目を挙げた三浦。「僕以上にファンが喜んでくれて思い出に残っている」と印象に残っていると話した 【写真は共同】

――98年の優勝を知る最後の選手となったが、今のチームと比べて?

 98年には98年の良さがあったと思いますし、今年はチームの自分の立ち位置もあのときと違いますし、苦しい時があったからこそ、今のハマスタ、DeNAベイスターズを見ているとうれしいですね。良いチームになってきた。昨日の試合でも、横浜対広島戦で何年か前はあんなにお客さんが入っていなかったけど、レフトは真っ赤に染まって、バックネット一塁側、ライトスタンドもブルーに染まって満員の中でプレーできていることはプロ野球選手として最高のこと。何年か前はガラガラで、苦しい時期もありましたけど、僕一人でどうしようもなかったことですが、FAで横浜に残って、横浜を良いチームにしたいと思って、小さな力でしたけど、横浜がどんどん変わっていくのを見られて本当にうれしく思います。

――FAで阪神へ行ってしまうのでは、とファンも心配したが?

 いろいろと本当に悩んで悩んで、いろいろな方にもご迷惑をおかけしましたけど、150勝したときも言いましたが、横浜に残って良かったな、と。たくさんのファンが喜んでくれて、支えてくれたっていうのは、本当に三浦大輔は幸せ者だなと思います。

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著者プロフィール

プロ野球の”いま”を伝える野球専門誌。年4回『季刊ベースボール・タイムズ』を発行し、現在は『vol.41 2019冬号』が絶賛発売中。毎年2月に増刊号として発行される選手名鑑『プロ野球プレイヤーズファイル』も好評。今年もさらにスケールアップした内容で発行を予定している。

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