“奇跡”の優勝を演出した作新学院・今井 今夏ナンバーワンに輝いた右腕の“軌跡”

楊順行

昨秋の県大会ベスト4、今春の県大会ベスト8と勝ち切れなかった作新学院だが、今夏は見事54年ぶり2度目の全国優勝を果たした 【写真は共同】

『1996年、奇跡のバックホームで松山商高(愛媛)が優勝。2006年、斎藤佑樹(現北海道日本ハム)と田中将大(現ヤンキース)の投げ合いで、劇的な引き分け再試合の末に、早稲田実(西東京)が優勝。西暦年末尾”6”の年には何かが起きる』

 大会前、さる雑誌にそう書いた。さて、16年夏には何が起こったか――。

昨秋県4強、今春県8強からの優勝

「昨年の秋には県大会ベスト4で、春は8強。関東大会にさえ出られなかったチームで全国優勝までこられたことは、奇跡に近いと思います」と語るのは、その“奇跡”の主人公で、作新学院高(栃木)のエース・今井達也である。

 尽誠学園高(香川)との初戦は、最速151キロをマークして13三振を奪い、今大会の完封一番乗りを果たすと、花咲徳栄高(埼玉)との3回戦は中盤から登板したドラフト候補の高橋昂也に投げ勝った。準々決勝では木更津総合高(千葉)のやはり好左腕・早川隆久との投手戦を制した。

 圧巻は、明徳義塾高(高知)との準決勝だ。2点を先制した初回の守り、1死満塁のピンチを招く。打席には、打力を買われて抜擢された1年生の谷合悠斗だ。明徳は、今井のフォームを分析し、狙いは直球一本。だが今井は「ここでギアを二段上げた」。狙われているとわかっても、151キロの直球から入り、最後は真ん中149キロのストレートでショートゴロ併殺に切って取るのだ。谷合は言う。

「完全に捉えたと思ったんですが、押し戻されたような感覚がありました。球威に負けた……」

 そして、バスターを多用するなどしぶとく攻略を仕掛けてきた北海高(南北海道)との決勝でも、3回にこの大会ですでにマークした152キロで三振を奪うなど、9回を7安打1失点で完投。5試合中4試合を1人で投げ抜き、41回で44奪三振、防御率1.10(自責点5)と、抜群の安定感で優勝投手に輝いた。

 花咲徳栄の高橋、横浜高(神奈川)・藤平尚真、履正社高(大阪)・寺島成輝のビッグ3をはじめ、好投手が目白押しだったこの大会。終わってみれば、今井がナンバーワンだった。

ただ速いだけ・・・今春の背番号は18

決勝戦後、今井をねぎらう小針監督。ただ球が速いだけで結果を残せない今井に普段の練習からエースの自覚を持たせた 【写真は共同】

 だが……昨夏もエース格ではありながら、不安定な制球が災いして甲子園ではベンチ入りから漏れた。秋の新チームでも、敗れたのは自身の暴投からだった。今春の県大会では、背番号18。マウンドには、一度も立つことがなかった。

 今井が振り返る。

「2年までの段階では、ただ速いボールを投げるだけで打者を見るということができなかったんです」

 そこで、小針崇宏監督が課したのは、普段の練習からエースの自覚を持たせることだった。いわば、取り組む姿勢。今井は、冬場のトレーニングを思い出す。

「今チームは、栃木の夏6連覇を目指そうと、練習メニューでも6にこだわってきました。シャドウピッチングなら600回、腹筋なら60回を6セット……」

 並行して増量にも取り組み、春の県大会で背番号1を背負った入江大生の8キロ増にはかなわないが、4キロ増量した。ちなみに、その増量によって「飛距離が伸びました」という入江は、この夏の甲子園で3試合連発という大会タイ記録を達成しているが、「ピッチャーとしてはライバルですけど、スピード、変化球のキレ、今井にはかなわない。頼りがいがありました」と舌を巻く。

いつごろからか「指先が焦げる」

最速152キロのストレートに加えて、カットボール、スライダーなどキレのいい変化球を低めに集める精密さも光った。今大会は5試合中4完投で、防御率1.10と抜群の安定感だった 【写真は共同】

 6連覇を達成した県大会での数字は、特筆するものじゃない。だが、冬からのそうした積み重ねが、今大会でナンバーワン投手の座に押し上げたのだ。7月、練習試合で対戦した木更津総合の五島卓道監督も、「あのときはまだ、球がばらついていた。事実ウチの打線も、ホームランなどで点を取りました。それがここに来てみると、まるで別人のような変わり方ですね」。

 なるほど、152キロのストレートに加え、「カットボール、スライダー、カーブ、チェンジアップ……真っ直ぐよりも、今井の良さは変化球のキレだと思います」と鮎ヶ瀬一也捕手が語るように、変化球を精密に、低めに集める今井の投球には、なかなかつけいるスキがなかった。

 今大会は控えながら、昨秋、捕手として今井の球を受けた水口皇紀はいう。

「いつごろからか、今井が“指先が焦げる”と言うんです。僕は知らない表現でしたが、中指の先に血豆ができ、また固まり、血が出て、また固まるらしい。それだけ指にかかっているということで、プロ野球のピッチャーによくあるらしいですね。またこの大会中も、部屋に行くと右手の中でずっとボールを持って遊ばせている。そうやって、指先の繊細な感覚を養っていたんだと思います」

 尽誠戦の完封は、作新学院の投手としては、春夏を通じてあの怪物・江川卓(73年センバツ/愛媛・今治西高戦)以来のことなのだとか。そういえば……江川2世と呼ばれるだけの質量には足りないとしても、今井の張り出した耳は、江川に似ていなくもない。もしかしたら2016年の夏は、今井達也の名前とともに記憶されるのだろう。98年が、春夏連覇を達成した横浜高・松坂大輔(現ソフトバンク)の夏として記憶されているように、だ。
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著者プロフィール

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。高校野球の春夏の甲子園取材は、2019年夏で57回を数える。

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