“北京の銅超え”遂げた400mリレー 日本男子は「37秒台の新時代」へ

高野祐太

快挙を生んだ2つの“悔しい”基点

ロンドン五輪では5位と健闘。しかし飯塚(写真中央)ら選手は悔しさをにじませていた 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 こうして、「北京の銅超え」と「37秒台の新時代」をなし遂げた日本には、そこに至る2つの“悔しい”基点があった。

 1つ目は12年のロンドン五輪だ。山縣、江里口匡史(大阪ガス)、高平慎士(富士通)、飯塚で臨んだ日本は、強豪国に失格がない中で5位(その後、繰り上がりで4位)に入った。北京の銅に引けを取らない結果だった。

 だが、このとき選手たちが抱いたのは「5位で悔しい」という感情だった。決勝前には、チームでは「北京では米国などに失格が相次いだ。今回はラッキーなしでメダルを取りにいこう」という話し合いがされていた。

 土江副部長は「次は、5位でも悔しいという思いを持った上での世界への挑戦になる。非常に目標レベルの高いチームができていく」と語った。このときをきっかけに、「北京の銅超え」の現実感を伴った目標が醸成されていくことになる。

 そして、2つ目の基点では「37秒台の新時代」が意識される。

 14年、韓国・仁川でのアジア大会決勝。日本は自らの38秒03のアジア記録を中国によって37秒99に更新され、アジアで一番乗りを目指していたはずの37秒台突入を先に越される形になってしまう。“チャイニーズ・ショック”とも言える激震が走った。

「37秒台という目標を誰も掲げていなかったのが敗因。勝ち切る気持ちが中国の方が強かった」

 銀メダルに敗れた後、リレーの両種目を走り、けが人続出を穴埋めする獅子奮迅の働きをした高平が、こう語った。

 高平は04年アテネ五輪からずっと代表を担ってきた歴戦のつわものであり、北京五輪銅メダリストの指摘は重かった。戦前に土江副部長が「そこを目指さなければ、金メダルはない」と口にした「37秒台」だったはずが、意識下ではまだ手が届かないという心理的バイアスがかかっていたということか。

 このとき、アジア・ナンバーワンとしてのプライドが傷つけられ、尻に火が付く形で「37秒台」が現実的で切実な目標へと認知されることになった。

ボルトも称賛「バトンの渡し方が素晴らしい」

3大会連続3冠の偉業を果たしたボルト(写真中央)も、日本の快挙を祝福した 【写真は共同】

 改革の必要に迫られた日本は、アジア大会後のオフに苅部氏が男子短距離部長に就任すると、新たな取り組みに着手する。それが“アンダーハンドとオーバーハンドの良いとこ取り”のバトンパスだった。分厚いデータを駆使し、コーチ陣と選手間で検討が重ねられ、速やかに的確な形が見いだされた。

「優秀なアンダーハンドでも、それを繰り返しているだけでは、停滞するしかないですから」

 議論を主導した高平は今年7月、そのときのことを、こう振り返った。

 そして今や、バトンゾーンに前後10メートルを加えた40メートル区間のタイムが目標の「3秒75」を比較的容易にクリアできるまでに精度を高めている。3カ所あるバトンの受け渡しでそれを成功すれば、現メンバーなら理論上は37秒7台前後のゴールタイムが出るのだという。“伝家の宝刀”は強力な破壊力を持つまでになり、リオでは計算以上の記録をたたき出した。ボルトからも「日本は非常に良かったと思う。バトンの渡し方が素晴らしく驚いている」と称賛を受ける出来だった。

 歴史を塗り替える金字塔は、4年後の未来をも照らし出す。ケンブリッジは「東京は、これ以上のタイムを出して、もっときれいなメダルを」と、瞳を輝かせた。

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著者プロフィール

1969年北海道生まれ。業界紙記者などを経てフリーライター。ノンジャンルのテーマに当たっている。スポーツでは陸上競技やテニスなど一般スポーツを中心に取材し、五輪は北京大会から。著書に、『カーリングガールズ―2010年バンクーバーへ、新生チーム青森の第一歩―』(エムジーコーポレーション)、『〈10秒00の壁〉を破れ!陸上男子100m 若きアスリートたちの挑戦(世の中への扉)』(講談社)。

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