3000安打達成後にイチローが語ったこと 試合後会見での言葉をひも解く

丹羽政善

3000安打を達成した試合後の会見で心境を語るイチロー(左) 【Getty Images】

 現地時間8月7日のロッキーズ戦、イチローが3000安打を打ったのは7回のこと。試合終盤ということもあり、一気にバタバタし始めた。

 日米の記者は速報を送るため、キーボードをたたき出す。先ほどまで聞こえていた雑談も消えた。

 試合終了が近いため、マーリンズ、ロッキーズ両広報から、試合後の段取りが伝えられる。

「まず、(マーリンズのドン・)マッティングリー監督が会見をする。その後、アメリカメディア、日本メディアの順でイチローが対応する。会見場は、マーリンズのクラブハウスの前の廊下をさらに進んだ左側に、特設の会場が設けてある。場所が分からなかったら聞いてくれ……」

 特設の会見場とは、なんでも普段は倉庫なのだという。ロッキーズの本拠地、クアーズ・フィールドには大きな会見場がないのか、それなりの人数を収容できるスペースを急きょ作ったそう。

 それから少しして10対7、マーリンズの勝利で試合が終わる。

 日米の記者は、慌ただしく階下の会見場に向かった。

「まず、試合のことを少し……」

 会見場に入って来たマッティングリー監督は、そう切り出した後、簡単に試合を総括すると、すぐにイチローの記録に話題が移った。

 監督は言う。

「われわれのフランチャイズにとって大きな記録だ。イチローは若い選手にすべきことを教えてくれている」

 その後のやり取りはわずか2、3問。監督はあえて会見を短くすませると、主役に場を譲った。

遠い存在過ぎたイチロー

 イチローが会見場に姿を見せるまで少し間があり、いずれにしても、米、日の順で会見が行われる。それならばと、先にマーリンズのクラブハウスへ。

 そこでは、ディー・ゴードンがこんな話をしてくれた。

「初めてイチローに会ったのは2004年。僕のお父さん(トム・ゴードン=当時ヤンキース)が、イチローとオールスターゲームで一緒のチームになったとき、挨拶する機会があったんだ。そのとき本当に良くしてくれた。あのとき僕は野球を始めたばかりで……。イチローを目標に? あの年にシーズン最多安打を放ったイチローのことなんて、遠い存在過ぎて目標になんかできなかったよ」

 そのときゴードンは16歳。11年後の昨年、イチローとチームメートになる。

「まさか……ね」

 話が終ったタイミングで電話が鳴った。米メディアの会見がそろそろ終る、という連絡だった。

 慌てて会見場に向かったが、もう座るところがない。ざっと50席はあったはずだが、すべて埋まっている。仕方がなく会場の脇で立ち見。とはいえ、距離的にはイチローに一番近く、表情がつぶさにうかがえた。

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著者プロフィール

1967年、愛知県生まれ。立教大学経済学部卒業。出版社に勤務の後、95年秋に渡米。インディアナ州立大学スポーツマネージメント学部卒業。シアトルに居を構え、MLB、NBAなど現地のスポーツを精力的に取材し、コラムや記事の配信を行う。3月24日、日本経済新聞出版社より、「イチロー・フィールド」(野球を超えた人生哲学)を上梓する。

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