「メダルは目標、ゴールではない」 サッカー五輪代表監督のチーム作り(2)

川端暁彦

五輪代表チームの2年半の軌跡、手倉森誠監督のチームマネジメントは? 【スポーツナビ】

 監督にもいろいろなタイプがいるものだが、日本人監督の場合は謙虚な受け答えに終始するタイプが過半を占めるだろう。言い換えると、プレッシャーを嫌うタイプだとも言える。2014年1月、リオデジャネイロ五輪を目指すU−21日本代表の監督に就任した早々から「メダルを獲る」という目標を堂々と掲げた手倉森誠監督は、異端のマインドの持ち主だったかもしれない。育成年代で思うような結果を残せていなかったチームにあって、「俺は勝てない選手のほうが好きだ」と言い切り、その気持ちに火を付けて煽り続けた。

 その一方で、迎えた五輪アジア最終予選では的確な情報収集に基づく綿密なゲームプランを個々の試合で練り上げたのみならず、大会を通してのチームマネジメントも見事にデザイン。スタッフを巧みに使いながら「弱い」と酷評されてきた世代をアジアチャンピオンへと導いてみせた。

 今回のインタビューでは、あらためて2年半のチームの軌跡を振り返ってもらいつつ、スタッフを含めたチームマネジメントのあり方、そして「歴史を新しく作ろう」と呼び掛けている五輪本大会への意気込みを聞いた。

トゥーロンで五輪でやることが明確になった

「トゥーロン国際大会も、実は勝てた」と手倉森監督は語る。大事なときに勝てばいいというスタンスだ 【写真:REX FEATURES/アフロ】

――五輪の目標はチーム結成当初から「メダル」に設定されて一貫しています。

 最初の決心というのが、自分には一番大事なんですよ。そこからすべてが始まる。目標実現のために、どうしていくかというやり方ですよね。その目標は自分にしっかり言い聞かせるのと同時に、周りにもちゃんと言い聞かせる。

――オファーを受けた当時から設定された目標だったわけですね。

(当時、日本サッカー協会技術委員長だった)原博実さんから「アンダー世代で(結果の)出ていない年代だけれど、まこっちゃんならやれると思う」と頼まれたときも、「やってみせますよ。絶対、リオでメダルを獲りますよ」と言いました。そして実際に(2014年1月に)活動が始まって、オマーンの大会(AFC U−22選手権)であっさり負けたとき(準々決勝でイラクに敗戦)、「これ、結構厳しいんじゃない?」と思いましたが(笑)。

 でも、この年代の長所である真面目さと、育成年代で勝てなかった悔しさに火をつけたら、絶対に勝てると思ってやっていました。周りが仁川(アジア競技大会)でも勝てない、J3(のJリーグ・アンダー22選抜)でも勝てないことを言ってきたときも、「おお、いい流れだな」とずっと思っていました。

――負けているのはあくまで準備段階だから、と。

 大事なときに勝つ。(五輪のアジア)1次予選が始まるときに「(五輪本大会まで)15連勝する」と言いました。いま(1次予選と最終予選で)9連勝しているので、言ったことは続いていますよね。俺にとって途中の結果は別にいいんですよ。この間のトゥーロン国際大会も、実は勝てましたからね。でも、あえてタフにやらせました。こういう相手にこうやったら負けるんだなということを、彼らが知ったのは良かったと思っています。

――相手に合わせて、どうこうというのをあえてやらなかったわけですね。

 おかげでやることは明確になりましたよね、あの大会で。

分析スタッフの情報収集は本当に早い

分析担当・寺門大輔の情報収集能力が本大会でも発揮されるか。五輪最終予選でも、豊川(左)のメンバー入りがイラン戦で実を結んだ 【Getty Images】

――分析スタッフの寺門大輔さんを中心に、相手を丸裸にしてという作業は五輪本大会でも期待していいんですよね?

 彼の情報収集は本当に早いんですよね。最終予選のときも予想通りになった。6試合の相手もそうですし、6戦の試合展開が。決勝は韓国でしたけれども、それも大会前から言っていましたからね。

――確かに聞いていました。

 その順番どおりに映像編集したのを彼が持ってきてくれるので、イメージがつくんですよ。初戦はこういう戦い方、2戦目はこうしよう、3戦目はこれだ、と。だったらこういうメンバーにして、ここでこうターンオーバーしていこうというのを、すごく事前に描けていた大会でした。(昨年12月の)石垣島キャンプが終わった時点で、「これは優勝できるな」と思いましたからね。

――そのキャンプで最後に豊川雄太選手を入れたのも、相手の情報と試合展開の想定からですよね。

(グループリーグのサウジアラビア、準々決勝のイラン、準決勝のイラクと)中東3連戦になるなと思ったときに、決勝点は絶対にクロスからだと。そこに飛び込んでいく選手がいないといけませんから、彼を選びました。だからあそこで最終メンバーの決定を2人残して石垣島に行ったのは、本当に良かったです。あのイラン戦の延長(前半)での(豊川の)ゴールがなかったら、どうなっていたかは分からないですよ。そう考えるとゾッとします(笑)。

――紙一重だったんですね。

 でも、まさにその紙一重のところも考えているからこそ、紙一重で勝てるとも思うんですよ。大事なときの決断を積み重ねてきて、結果が出たと思っているんです。それは俺だけじゃなくて、スタッフみんなで共有していますよ。ゲームの流れのプランもだいたい話はしています。まあ、あんなにスリリングになると、彼らは思っていなかったかもしれません(笑)。

――甘くなかったですよね。

 ドキドキハラハラさせます、みたいなことも言っていましたけれど、あれはそういう試合展開になると分析した結果なんですよ。

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著者プロフィール

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』をはじめ、『スポーツナビ』『サッカーキング』『フットボリスタ』『サッカークリニック』『GOAL』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。近著に『2050年W杯 日本代表優勝プラン』(ソル・メディア)がある

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