錦織ら日本勢が語る、リオ出場の動機
ツアー選手が五輪に見出す価値とは?

第1回大会でも行われたテニス

記者会見でリオへの意気込みを語った錦織。テニスプレーヤーにとって五輪はどんな位置づけなのか
記者会見でリオへの意気込みを語った錦織。テニスプレーヤーにとって五輪はどんな位置づけなのか【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

「単純に、小さい頃から見てきた夢というか一大イベントとして、ここに出たいなという想いはあった。それが今もモチベーションとしてある」


“世界最大のスポーツの祭典”に抱く想いを、錦織圭(日清食品)はそう語った。五輪出場は、今夏のリオデジャネイロ大会が3回目。


「メダルをもちろん狙って、頑張りたいと思います」


 13日の記者会見でリオでの目標を問われた時、彼は、ことさら気色ばむふうもなく言った。


「五輪」「テニス」、そして「メダル」の3つのキーワードから導き出されるのは“熊谷一弥”と“柏尾誠一郎”だろう。五輪で最初にメダルを取った日本人が、この2人のテニス選手であるのはファンの間ではよく知られたトリビア。時は、1920年のアントワープ五輪。テニスは、1896年第1回近代五輪時に9種しか存在しなかった、オリジナル競技の一つであった。


 しかし1924年のパリ大会を最後に、テニスは五輪から姿を消す。正式競技として復帰したのは、64年後の88年ソウル大会だった。なお同大会の女子金メダリストは、当時19歳にしてテニス界を統べていたシュテフィ・グラフ。彼女はこの年、五輪金メダルに加えて四大大会全てを制し、その偉業は“ゴールデンスラム”として称えられた。

五輪の価値を左右するポイント加算

アガシのアトランタ五輪金メダルが、男子選手の五輪への意識を変えた
アガシのアトランタ五輪金メダルが、男子選手の五輪への意識を変えた【写真:ロイター/アフロ】

 このグラフの活躍もあり女子選手間で五輪の価値が高まった一方で、男子選手間での五輪の地位は、そこまで高くなかったであろう。その状況が変わる契機が「アンドレ・アガシが優勝した1996年のアトランタ五輪だ」と述懐するのは、70年代後半から80年代前半にかけ活躍したジョン・マッケンローである。ちなみにアトランタ大会には、当時世界ランキング1位のピート・サンプラスやマイケル・チャンらの多くのトップ10選手は出場していなかった。


 アガシの金メダルに加え、五輪の位置付けが上がった大きな理由が、男子は2000年シドニー、女子は04年アテネ大会から導入された“ツアーランキングポイント加算”である。さらには12年ロンドン大会のウィンブルドン開催も、五輪の価値を一層高めた。ロンドン大会には、ケガのラファエル・ナダル(スペイン)を除く全ての男子トップ10選手が参戦し、女子ではトップ20のうち18選手が出場している。


 ただ今回のリオ大会では、このランキングポイントが消失した。背景には、ATP(男子プロテニス協会)およびWTA(女子テニス協会)と、ITF(国際テニス連盟)間の綱引きがある。ITFは選手の五輪出場を推奨するが、ATPとWTA主催の複数のツアー大会は五輪に選手を取られ、間接的に経済的損失を被ることにもなる。現に今週開催のワシントンDC大会(男子)は、昨年の優勝者である錦織が欠場。この損失分を埋める見返りなくしては、ツアーとしても、五輪にポイントを与え選手の出場を促すことは厳しいというロジックだ。


 今回のリオ大会では、早い段階で欠場を公言していたドミニク・ティエム(オーストリア)に加え、最近になってミロシュ・ラオニッチ(カナダ)とトマーシュ・ベルディハ(チェコ)らのトップ10選手も辞退を発表した。ジカ熱を主な理由に挙げてはいるが、ポイントの消失も一端を担っているのは間違いないだろう。


 その一方でノバク・ジョコビッチ(セルビア)らトップ3をはじめ、ケガでウィンブルドンを欠場したラファエル・ナダル(スペイン)も参戦を熱望している。

錦織のキャリアにおける五輪の重要性

錦織は初出場の北京五輪で、国を背負う重みを知ったという
錦織は初出場の北京五輪で、国を背負う重みを知ったという【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 ウィンブルドンで痛めた左わき腹の状態が不安視されていた錦織も、出場を表明したトップ10選手の1人だ。ウィンブルドン4回戦の棄権から約1週間後に行われた会見では、まだ「テニスの練習はほとんどしていない」と認めながらも、「状態はかなり良くなっている。気持ちの準備もそろそろしていかなくては」と臨戦モードへ。五輪のポイント消失に関して「正直、寂しいは寂しい」とこぼしたが、「オリンピックは全く別のモチベーションがある」と表情を引き締めた。


 錦織にとって過去2回のオリンピックは、いずれもキャリアの転機となるタイミングで訪れている。18歳で初めて立った五輪の舞台では、「人生で一番かも」と感じるほどの緊張に襲われ、「国を背負う重みを知った」。


 4年後のロンドン大会は、「人生で初かも」と覚えるほどのスランプの中で迎えるも、その迷いを、五輪会場となったウィンブルドンの芝の上で振り落とす。「完璧に近いプレーもできた」末にベスト8入りを果たした錦織は、取り戻した自信を同年10月の楽天ジャパンオープン優勝にもつなげている。


「オリンピックを経験して、すごく自分が強くなったのも感じてきた」


 自身のキャリアにおけるオリンピックの重要性を、彼はその言葉に込めた。

内田暁

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

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