攻撃の起点として存在感を発揮した柏木 守備の不安を解消し”代表”定着なるか?

元川悦子

たびたび話題になる「ボランチ問題」

たびたび話題に上る代表の「ボランチ問題」。長谷部・遠藤の鉄板ボランチは15年アジアカップまで続くこととなった 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 日本代表の「ボランチ問題」は、アルベルト・ザッケローニ監督体制の頃からたびたび話題に上ってきた。岡田武史監督体制の2010年1月のイエメン戦(3−2)で国際Aマッチデビューを飾った柏木も、早い段階から「ポスト遠藤保仁の後継者候補の1人」と目されていたが、長い間代表定着はかなわなかった。その間、ボランチには細貝萌、高橋秀人、山口蛍、青山敏弘などさまざまな選手が呼ばれてきたが、長谷部・遠藤保仁の鉄板ボランチはハビエル・アギーレ監督体制の15年アジアカップまで続くことになった。

 だが、15年3月のハリルホジッチ監督就任後は当時35歳の遠藤保仁をあえて選ばず、ボランチの若返りを強引に推し進めた。当初は柴崎岳がその一番手と位置づけられ、6月の18年ロシアワールドカップ(W杯)アジア2次予選初戦・シンガポール戦(0−0)にスタメン抜てきされたが、指揮官を納得させるだけの結果を残せなかった。9月のカンボジア戦(3−0)以降は東アジアカップで本来の輝きを取り戻した山口蛍がファーストチョイスとなったが、パス出しや組み立てなど攻撃の起点としては物足りない部分も見られた。

 こうした事情から、Jリーグで異彩を放っていた柏木が10月のイラン戦(1−1)から出番を与えられ始めた。この時期の彼は「僕にとっては次のW杯が最後。やっぱりW杯のピッチに立ちたいという思いで今はやっている。まずはここ(代表)に残ることを重視してやりたい」と力を込めていた。その意気込みが11月のシンガポール、カンボジアとの2連戦に出る。

 柏木は長短のパスを駆使しながら圧倒的な攻撃力を披露。一気に存在感を高めた。ただ、今年3月のアフガニスタン戦(5−0)では左MFとして起用されたことで不発に終わり、2次予選ラストのシリア戦(5−0)では山口に先発の座を譲る形になっていた。ハリルホジッチ監督も「相手のプレッシャーが少ないところでは柏木は生きるが、デュエル(球際の競り合い)の多い試合では未知数」という見方をしていたから、シリア戦に出さなかったのだろう。

 けれども、今回の2連戦では負傷が癒えたばかりの山口がメンバーから外れ、ボランチの構成が長谷部、遠藤航、大島僚太と柏木の4枚になった。遠藤航はU−23日本代表ではボランチでプレーしているが、所属する浦和レッズでは最終ラインに入っていて、どうしても守備的な役割が中心になる。初招集の大島はまだ計算できない部分もあり、最初から柏木に託される期待は非常に大きかった。

 ブルガリア戦では相手のコンディションが非常に悪く、プレッシャーが厳しくなかったことも幸いし、柏木は自由自在にピッチを動き回って数多くのチャンスを演出した。開始早々に岡崎の先制弾を呼び込んだ浮き球のテクニカルなパスなどは「左利きの選手が持ってあそこに出してくれれば、自分の持ち味も生きると思う」と岡崎に言わしめるほど、柏木の良さが凝縮されていた。3月のアフガニスタン戦以来の90分フル出場となり、「代表に慣れてきて、出さなければいけないものはある程度出せているかな」と本人は前向きなコメントを残しつつも、「ただ、もっとやらないといけない。特に後半は守備もうまくはまらなかったし、自分の良さを出し切れなかった」と課題を直視することも忘れなかった。

欧州勢との2連戦で得た収穫

ボスニア戦でのプレーは賛否両論も、本人は攻撃の起点としての役割に手応えを感じたようだ 【Getty Images】

 平均身長186.8センチというボスニアはブルガリア以上に屈強なフィジカルを擁する相手。本気で挑んでくる欧州勢との対戦経験が少ない柏木にとってはある意味、1つの試金石とも言えるゲームだった。だが、前半45分で交代したことで、その評価はメディアや関係者の間でも大きく分かれる結果となった。

 攻撃面では「清武、宇佐美との連係はまずまずだった」という前向きに評する声が出る一方で、「ボールタッチがブルガリア戦より少なく、決定的なチャンスも作れなかった」と厳しい見方も聞こえてきた。守りに関しても「前からプレッシャーに行こうとする姿勢は悪くなかった」。「長谷部に多くの仕事を託し過ぎた」といった賛否両論があったのだ。

 それでも本人は「個人的にはよかった方だと思う」とポジティブに受け止めていた。

「(自分が下がった)後半、キヨと貴史の距離感が遠くなって、しんどそうやったなというのは感じた。攻撃も浅野(拓磨)の裏を狙いすぎて単調になりすぎたかなと。もうちょっとボールを動かしながら中に入れたり、外に入れたりっていうのを使い分けながら攻撃ができたらよかった。自分が出たら、そうしないといけないと感じましたね。

 ちょっとプレッシャーに来る相手だったらどうなるか分からないけれど、割と前を向ける時間もあったし、人を使ってポンポンとリズムを作っていくこともできた。今の日本のボランチの中でそういうことができるのは俺しかいないなというのはあらためて感じたので、そこは自信を持って取り組んでいきたいですね」と柏木は攻撃の起点としての役割には手応えをつかんだ様子だった。

 課題と言われた守備の方は「前には(プレスに)行けているから。裏に走られた時、相手とガチャンとぶつかった時の強さだったりは、もうちょっとできる部分はあるかなと。より外国人の選手に強く行けるように、Jリーグでもやっていかなければいけない」とデュエルや1対1の改善の必要性を口にした。

 もちろん、最終予選になれば、ボスニア戦以上にガチガチな当たりや寄せが求められる場面も出てくるだろう。そこで柏木を使えるかどうかは、ハリルホジッチ監督もまだ判断に迷うところがあるはずだ。しかし「ポスト遠藤保仁」という意味では、やはり彼が最右翼であるのは確か。彼自身は「『ポスト』とかって言葉はあんまりうれしくない」と釘を刺しながらも、3度のW杯に出場した偉大なボランチを多少なりとも意識しているはず。先輩の姿をイメージしつつ、柏木は自らをブラッシュアップさせていくことになる。

「やっぱりゲームを作る仕事ができる選手は自分かなと。ヤットさん(遠藤)よりアグレッシブに、ゴールによりつながるパスを狙える選手になれたらいいかな。走っている距離はヤットさんの方が多いかもしれないけれど、スプリントの回数(の多さ)は俺の方が勝っていると思う。それに加えて、ヤットさんの持っている落ち着きが出てくればいい。そのためにも代表の試合に出続けることが大事」と本人もあらためて強調していた。

 こうした明確なテーマを持てたのが、柏木にとってのこの欧州勢との2連戦で得た最大の収穫だ。指揮官の絶大な信頼を勝ち得るべく、彼はここからJリーグの連戦を走り抜けていく。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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