ワカマツ元マ軍監督が語るイチローの素顔 ユーモアのセンスからDL入り裏話まで

丹羽政善
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2009年、マリナーズの指揮を執ったワカマツ監督(右端)と試合前に談笑するイチロー(中央)とグリフィー.jr 【Getty Images】

 2008年11月、マリナーズの監督にドン・ワカマツ氏が就任した。初の日系アメリカ人監督。しかも、日本の姓を持つ。オークランド近郊の街、ヘイワードで生まれ育ったが、父親は第2次世界大戦中、北カリフォルニアのツールレイク隔離収容所で生まれた。ということはもちろん、祖父母は、第2次世界大戦が始まると、土地、建物、一切の財産を没収され、収容所生活を強いられた世代だ。
 
 そんな事実を、マリナーズで監督になる数年前まで知らなかったというワカマツ現ロイヤルズコーチは、それをきっかけに、日系人の宿命に興味を持ち、自分に日本人の血が流れていることを自覚する。そうした部分で分かり合えることがあったのだろうか。イチローと打ち解けるのに時間はかからなかった。

イチローと最初に交わした会話

「私が監督に就任したのは08年11月だが、そのオフにセーフコ・フィールドの監督室で仕事をしていたら、室内ケージで誰かが打っている音が聞こえてきたんだ。ほとんどの選手はもうオフに入って、体を休める時期だが、そこで打っていたのがイチローだった」
 イチローのことはもちろん知っていた。ワカマツ元監督は、レンジャーズ、アスレチックスのコーチを歴任。同地区のマリナーズとは年間、何度も顔を会わせる。

「相手のベンチからずっと見てきたから、もちろんイチローのことは知っていたけど、話したことはなかった。だから会話を交わしたのは、あの時が初めてだった」

 ワカマツ元監督はチーム関係者に、「イチローの練習が終ったら教えてくれ。良い機会だから、挨拶をしたい」と伝えた。

 ただ、自己紹介するだけじゃなくて、少し話がしたい。どんな話題が良いのだろうか。そのとき、レンジャーズのコーチ時代にクローザーを務めていた大塚晶文(現中日2軍コーチ)のことを思い出して電話をしたそうだ。

「イチローとなにをどう話していいか分からなかったから、アキに電話をしたんだ。私は2003年から07年までレンジャーズのコーチを務めたが、そのときアキもレンジャーズにいたからね。で、アキとイチローが06年のWBCでチームメイトだったことも知っていたから『どう話しかけたら良い? どんな話をしたら良い?』って聞いたんだ」
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著者プロフィール

1967年、愛知県生まれ。立教大学経済学部卒業。出版社に勤務の後、95年秋に渡米。インディアナ州立大学スポーツマネージメント学部卒業。シアトルに居を構え、MLB、NBAなど現地のスポーツを精力的に取材し、コラムや記事の配信を行う。3月24日、日本経済新聞出版社より、「イチロー・フィールド」(野球を超えた人生哲学)を上梓する。

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