ジョコビッチ、偉業達成の裏にあった約束
赤土に描かれた「ハート」の意味

赤土を制するために必要なもの

全仏オープンを制し、男子テニス史上8人目の生涯グランドスラムを達成したジョコビッチ
全仏オープンを制し、男子テニス史上8人目の生涯グランドスラムを達成したジョコビッチ【写真:ロイター/アフロ】

「それは、ハートだよ」


 ノバク・ジョコビッチ(セルビア)のコーチに「ここで優勝するために必要なものは何か?」と問われた時、全仏オープン3度の優勝を誇るグスタボ・クエルテン(ブラジル)は、そう答えたのだという。


「全仏のクレーコートでは、鋭いショットでウイナーを取ることは難しい。ノバクがここで最も苦しんでいたのも、それが理由じゃないかな? フィニッシュラインがなかなか見えないから、勝ち上がっていくのも楽ではない。それでも土にまみれ、汗にぬれながら戦っていくことが、ここでは大切なんだ」


 人懐っこい笑顔で世界中のファンを魅了してきた男は、現役時代と変わらぬ笑みを振りまきながら、彼を囲む記者たちに“赤土を制するための秘訣(ひけつ)”を明かす。


「今日の決勝戦でノバクはまさに、そのハートを示して見せたでしょ? 試合の立ち上がりは緊張していた。最後だって、物すごくナーバスになっていた。でも、それを切り抜けてみせたんだから」


 ナーバスになる――それはもしかしたら、鋼の精神を持つと呼ばれるジョコビッチとは、最も相いれない言葉のように響くかもしれない。しかし全仏でのジョコビッチの戦績とは、彼がいかに“生涯グランドスラム”のプレッシャーと戦い、敗れてきたかの歴史でもある。

センターコートに響いた「ノーレ」コール

 2012年は、ジョコビッチが初めて全仏決勝に進んだ年。同時に、全仏を除く3つの四大大会を既に制していた彼が、初めて生涯グランドスラムに挑んだ一戦でもあった。しかし雨天のため2日にわたって行われたラファエル・ナダル(スペイン)との決勝で、ジョコビッチは、相手のマッチポイントでダブルフォルトを犯し敗れる。順延となる直前に8ゲーム連取していただけに、その流れを雨で寸断される不運も重なった。


 2年後の2014年。彼は再び決勝でナダルと対戦し、またしてもダブルフォルトで優勝を明けわたす。3度目の正直に挑んだ昨年は、ツアーきっての剛腕で知られるスタン・ワウリンカ(スイス)の強打が、ジョコビッチの夢を打ち砕く。表彰式では、涙をにじませ準優勝プレートを抱くジョコビッチに、観客は鳴りやむことのない拍手と歓声で励ましのエールを送った。


 それから1年――。あの日ジョコビッチの夢に重ねた想いを、パリのファンは忘れてはいなかった。


 センターコートに姿を現した世界1位を、1万5千人の観客は万雷の拍手と「ノーレ(ジョコビッチの愛称)」の大合唱で出迎える。そのようなファンからの愛情を、ジョコビッチは決勝戦のみならず、「今回、パリを訪れた最初の日から感じていた」のだと言った。

内田暁

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

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