スマートオーディンは風の神か 「競馬巴投げ!第123回」1万円馬券勝負

乗峯栄一

「中年の多い古書店」

[写真4]関西4番手という評価のエアスピネル、巻き返しはあるか 【写真:乗峯栄一】

 水沢の、国道から競馬場の方に向かう道の曲がり角のあたりに一軒の古本屋がある。

「中年の多い古書店」という屋号を付けて看板を上げている。中に入ると、宮澤賢治の古本がずらりと並んでいるから、つまりこの屋号は「注文の多い料理店」のパロディだろうと分かる。

 でも農作業の合間に競馬場に来るおじさんたちが、そんな名前に関心を示すだろうか。だいたい宮沢賢治といっても、そりゃ都会の文学少女たちには関心呼んでいるが、地元じゃ観光業者と商工会議所の連中が人寄せに使いたいと考えているだけのように思える。せめて宮澤賢治の出生地・花巻の空港の中とか、新幹線盛岡駅の前とか、そういう都会から人が来る所に「賢治古書店」を作れば少しは話題を呼ぶだろうが。

 店のおじさんに少し話を聞いた。

 水沢競馬場正門前で父親がやっていたうどん屋を、父親が亡くなったのを機につぶし、古本屋を開業したらしい。もう二十年になるということだ。

 古本は全然売れないので、岩手競馬予想紙「エイカン」と「いわて馬」、専門誌「テシオ」も置いている。これはまあ売れる。店主の努力でも何でもない。場所が場所だからだ。5年ほど前から水沢競馬場は中央競馬の馬券も売るようになったので、中央競馬の予想紙と全国版スポーツ紙も置く。土日にはこれもよく売れる。いまでは予想紙が店のスペースの半分以上を占め、店の奥の賢治の本を見つけたおじさんは「この新聞屋、そげな本さ置いとるべ、売れにぃべさ」と笑って去っていく。

“風を告げる矢”カブラヤオー

[写真5]イモータルは距離延長で反撃か 【写真:乗峯栄一】

 水沢生まれの店主だが、宮沢賢治に目覚めたのは東京で土木工事のアルバイトをやっていたときだそうだ。

 岩手にいたときも「郷土の誇り」ってなことで、賢治の童話も詩も短歌もいやというほど読まされた。そりゃ確かにいいんだけど、「どうですか、こんなに自然を愛し、家族を愛し、そして美しく純粋な文章の書ける人がこの岩手から出ているんです」って学校の先生から言われると、店主はもうそれだけで嫌気が差してしまった。店主にとって宮澤賢治は校庭の銅像の二宮金次郎と一緒くたになって「自然を愛さない、郷土を愛さないヤツはお前か」と襲ってこられるような気がした。

 でも、東京で「唐版・風の又三郎」という前衛演劇を観て、何だか分からないけど、カッコいいじゃないかと、宮沢賢治を読み始めた。「よだかの星」「オッペルと象」「グスコーブドリの伝記」「銀河鉄道の夜」……、賢治の作品は限りがないけど、でもやっぱり店主は「風の又三郎」が別格だという。読んでいて、ふっと周りを見てしまう。お前の周りにお前には見えない別の世界があって、気づかないのか、風の又三郎をと、そんなことを言われているような気になる。

 その頃、テレビつけたらダービー中継をやっていて、カブラヤオーという馬が勝った。「驚異的なペースで影をも踏ませない、ダービー史上に残る逃げ切りだ」と実況アナウンサーが叫ぶ。カブラヤってのは「鏑矢」と書くんだよなと思う。どんなものか、実際に見たことはないが、風にヒュルヒュルと鳴る矢だと聞いている。まだ合戦に優雅さの残っていた時代に、まずこのカブラヤを射って「宣戦布告」を告げたという、そういう“風を告げる矢”だと思い、店主は読んでいた「風の又三郎」を伏せたそうだ。

ダービーのときだけは又三郎は東京に出張するみたい

[写真6]アグネスフォルテは前残りの展開になれば 【写真:乗峯栄一】

「あなた、ダービー見に行ったことはある?」と店主がこちらに聞く。

「ああ、ダービーはかなり見に行きましたよ」

「じゃあ、ダービーが終わり、観客が大方ひきあげたあと、こう、風が小さな竜巻のようになって、外れ馬券や予想紙たちを巻き上げるのを見たことないですか?」

「あ、そう言われれば、ありますねえ。あれ、何ですかねえ?」

「あれ、サイクル・ホールですよ」と言って店主がこっちの顔を覗き込む。

「サイクル・ホール?」

 こちらの質問に店主は「風の又三郎」を取り出して、その一節を読む。

「“スリバチ状の入れ物の中で自転車漕いでいて、その巨大な容器の縁まで自転車が上がって来る。つまりサーカスでやっている巨大な金網球儀の中をオートバイが駆ける、あれのことだ。特にオレたち(風)の作るサイクルホールは全然規模が違うぜ”って、又三郎はそう言いますね。水沢競馬場の正面に見える“種山ヶ原”という丘で嘉助と一緒に馬追い競馬をやっていて、嘉助一人が道に迷い、途方にくれているところを、いつのまにかガラスのマントを着けた高田三郎(又三郎)が助ける。サイクルホールは“種山ヶ原競馬”に潜んでるんです。でも、ダービーのときだけは又三郎は東京に出張するみたいですね。馬券なら、この水沢でも売ってるのにね」

 そう言って店主は笑う。

[写真7]こちらも反撃に燃えるサトノダイヤモンド(皐月賞週の撮影) 【写真:乗峯栄一】

 ぼくも“サイクルホール”を見た記憶がある。アイネスフウジンのダービーのときだ。このときは久々東京に行って生のダービーを見た。1990年年、ちょうど競馬人気がピークにあったときで、勝負が決まったあと期せずして“ナカノ”コールが起きた。75年カブラヤオーと同じ逃げ切り、それもレコードタイムでの猛烈な逃げ切りだった。18万人の観客が帰ったあと、ぼんやりスタンドにいると、あのカブラヤオーのときと同じく“風のサイクルホール”が起きた。一階全体に広がっている外れ馬券や予想紙の束をまるで竜巻のような風が空高く巻き込んで飛ばした。

 カブラヤ(鏑矢)オー、アイネスフウジン(風神)、風の馬が優勝すれば又三郎が東京競馬場でサイクル・ホールを起こす。

 今年はどうだ。「風の馬」は出ているか?

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著者プロフィール

 1955年岡山県生まれ。文筆業。92年「奈良林さんのアドバイス」で「小説新潮」新人賞佳作受賞。98年「なにわ忠臣蔵伝説」で朝日新人文学賞受賞。92年より大阪スポニチで競馬コラム連載中で、そのせいで折あらば栗東トレセンに出向いている。著書に「なにわ忠臣蔵伝説」(朝日出版社)「いつかバラの花咲く馬券を」(アールズ出版)等。ブログ「乗峯栄一のトレセン・リポート」

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