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春夏連覇の大阪桐蔭4番が野球界に復帰
藤浪の同期・田端良基が語る新たな夢

創部10年目の新興チームで復帰

阪神・藤浪とともに大阪桐蔭の主力として春夏連覇に貢献した田端。3年の空白を経て、今春から社会人の日本ウェルネス大学北九州に選手として復帰した
阪神・藤浪とともに大阪桐蔭の主力として春夏連覇に貢献した田端。3年の空白を経て、今春から社会人の日本ウェルネス大学北九州に選手として復帰した【写真=高木遊】

 藤浪晋太郎(阪神)らとともに、2012年の甲子園で春夏連覇を果たした大阪桐蔭高の4番打者・田端良基。春のセンバツでは花巻東高・大谷翔平(北海道日本ハム)から本塁打を放ち、右手首の骨折から復活した夏には2試合連続本塁打を放つなど5試合で18打数7安打、5打点の大活躍を見せ、多くの高校野球ファンを魅了した。


 しかし、彼の名前は亜細亜大の推薦合格者発表以後、見なくなり3年の月日が経った。だが、今春、日本ウェルネス大学北九州(社会人チーム登録)に加入。電撃復帰までの経緯と現在の目標を明かした。

(制作協力:高木遊)

高校卒業で「もう野球はええや」

3年春のセンバツでは大谷からも一発を放つなど大阪桐蔭の4番として春夏連覇に貢献。高校卒業後は亜細亜大に進学する予定も、3日も経たず入学を辞退した
3年春のセンバツでは大谷からも一発を放つなど大阪桐蔭の4番として春夏連覇に貢献。高校卒業後は亜細亜大に進学する予定も、3日も経たず入学を辞退した【写真は共同】

「どこの大学に行っても、すぐ辞めていたと思います」と田端は当時を振り返る。亜細亜大の練習合流後、「たぶん3日もいなかった」とすぐに退部し、入学を辞退した。


「キツいから辞めたとかではなく、高校卒業してプロに入るという目標がなくなり、もう野球はええやと思ってしまったんです」と話すように、野球への未練はまったくなく、水道関連の仕事を半年、鉄工所の仕事を1年半こなし、正社員として月収約30万円と不自由ない生活をしていた。しかし、どこか満たされない思いがあった。


 野球から離れ、約1年半が経った夏。

「なんか違うわ。俺ずっとこのまま生きていくんかな?これじゃ胸張れへんな」

 そう思い立った田端は、すぐに友達の叔父が監督を務める関西の強豪社会人チームに連絡。すると「冬までに体を作ってきて欲しい」と連絡があり、ジムで体を動かし始めた。

大阪偕星学園の弟・拓海の活躍に刺激

 翌年(2015年)勤めていた会社を辞め、社会人チームには3カ月間、練習生として加わった。紅白戦で本塁打を放つなど首脳陣の評価は上々だったが、「投手に採用枠を多く充てたい」という会社の方針もあり、採用には至らず。夏には東海地区の強豪社会人チームのセレクションに参加したが、「プロ待ち(ドラフト指名が無ければ入社する選手)次第」と、ここでも採用決定には到らなかった。


 それでも再び灯った野球への思いが消えることはなかった。その裏には昨夏、大阪偕星学園高で甲子園出場を果たした弟・拓海の存在も大きかったという。

「(大阪大会準々決勝の)大阪桐蔭戦を僕は大阪偕星学園側のスタンドで、複雑な気持ちで観ていました。そしたら勝つと思ってなかった弟のチームが勝って…。僕は弟が高校に入るまで大変だったことを知っていたから、感動しました。一方で、大阪桐蔭の後輩たちが泣いていた姿を観て、僕らの2年夏(大阪大会決勝で東大阪大柏原にサヨナラ負け)を思い出したんです」


 また知人の紹介で指導していた大阪のリトルシニア(中学硬式野球)のチームでも「甲子園ってどんなところですか?」と、子供たちが目を輝かさせながら聞いてくる。「俺もこんな気持ちで野球しとったなあ」と原点を思い出させてくれた。

高木遊
1988年、東京都生まれ。幼い頃よりスポーツ観戦に勤しみ、東洋大学社会学部卒業後、スポーツライターとして活動を開始。関東を中心に全国各地の大学野球を精力的に取材。中学、高校、社会人などアマチュア野球全般やラグビーなども取材領域とする。

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