最後まで強く、魅力的だったマニー・パッキャオ “アジアの英雄”が引退試合で見せた興奮と感動

杉浦大介

2度のダウンを奪いブラッドリーとの因縁に決着

判定勝利で引退試合を飾ったマニー・パッキャオ。最後まで強く、魅力的だった 【Getty Images】

 強者は強者のままで――。4月9日、米国ラスベガスのMGMグランドガーデン・アリーナに登場したのは、依然として強く、魅力的なマニー・パッキャオだった。
 事前から“この試合を最後に引退”と宣言して臨んだティモシー・ブラッドリーとのウェルター級12回戦で、パッキャオは明白な3−0の判定勝ち。過去1勝1敗だったブラッドリーから第7、9ラウンドに2度のダウンを奪い、ジャッジは3人とも116−110と大差をつける完勝だった。

「これまで(の過去2戦)と違い、アグレッシブだけど注意深く戦った。毎ラウンドに渡ってKOを狙ったけど、ブラッドリーは良い選手だからね」
 試合後、リング上で笑顔でそう語ったパッキャオには、37歳の歴戦の疲労は感じられなかった。1万4665人のファン、多くの関係者が見たのは、かつてのようなデストロイヤーではないにしても、依然としてトップレベルのスキルを保つ実力者の底力だった。
 今戦の開始前、ブラッドリー有利と予想する地元メディアは少なくなかった。他ならぬ筆者もその中に含まれる。加齢、モチベーション減退、前戦のフロイド・メイウェザー戦から11カ月のブランク、右肩の故障明け……様々な不確定要素の中で、より全盛期に近いブラッドリーとの試合はリスキーに思えた。そして、無闇な大振りは避け、ディフェンスを重視し、機を見て連打をまとめようとしたこの日のブラッドリーの戦術が間違っていたとは思わない。
 ただ、この日のパッキャオのボクシングは、多くの人の期待を上回るレベルだった。手の内を知り尽くした同士の技術戦から、フットワークとハンドスピードの差で中盤ラウンドにペースを掌握。1度目のダウンはスリップ気味だが、アッパー気味の左ショートフックを綺麗に合わせた2度目のダウンは出色だった。
 比較的あっさりとダメージは受けるものの、そこからがしぶといブラッドリーを深追いしなかった点も評価できる。もちろん全盛期の迫力はなかったものの、適度にリラックスし、スピードがあり、スタミナを失うこともないまま滑らかに12ラウンドを戦いきった。
「(今日の)パッキャオはこれまで戦った中で最も強かった。試合を通じて強かったし、とても辛抱強かった」
 試合後のブラッドリーのそんな言葉は実感がこもって感じられた。両者の第1戦も“疑惑の判定”と騒がれ、実際にはパッキャオの3戦3勝。そのシリーズ中でも最も上質なパフォーマンスをこの時点で見せたことは、パッキャオのボクサーとしての能力の深さを物語っていたのだろう。

「現時点では…」引退宣言も期待してしまう“次章”

2度のダウンを奪い宿敵ブラッドリーとの因縁に完全決着 【Getty Images】

 まだこれだけやれるのであれば、前言を撤回し、パッキャオの次章を見たいというファンも多いかもしれない。いや、この勝利を有終の美に、公言通りにグローブを壁に吊るして欲しいと願う人も多いだろう。
「現時点では、僕は引退する。まずは家に帰り、そして考えたい。家族と一緒にいたいんだ。(フィリピンの)人々のために働かなければいけないからね」
 試合後のリングで、パッキャオは少々微妙な形で改めて引退を表明した。
 もっとも、全体会見の場では、「引退すると決めてあったんだ。引退後の生活を楽しませて欲しい。その後にどう感じるのかはわからない」と微妙なコメントを連発。“君本人よりも家族の方が引退してもらいたがっているように聞こえるけど”などと突っ込まれ、「僕の心は50/50。現時点での選択は引退なんだよ」と苦笑いするシーンもあった。
「(ボクサーが)実際に引退するのは簡単なことではない。特に(今日の)彼はここ最近で最も出来が良かったからね」
 パッキャオを誰よりも良く知るフレディ・ローチ・トレーナーの言葉通り、カムバックの可能性は低くないのかもしれない。周囲の人間と同様に、この夜の主役の心も少なからず揺れていることは容易に想像できる。
 ただ……これが本当に最後だろうと、そうでなかろうと、パッキャオが節目の決意を胸にこの日の試合を戦ったのは事実なのだろう。だとすれば、私たちも未来の詮索はまた後にしよう。今はただ、フィリピンの英雄が歩んできた驚異的なキャリアに感謝すべきに違いない。

空前絶後のストーリーを体現した“パッキャオの奇跡”に感謝

【Getty Images】

 17歳だった1995年にプロデビューしたパッキャオは、足掛け21年のキャリアで実に6階級制覇に成功。軽量級時代にマルコ・アントニオ・バレラ、エリック・モラレス、ファン・マヌエル・マルケスといったメキシコの勇者たちと熾烈なライバル関係を形成した時点で、すでに殿堂入りは確実のボクサーだった。
 さらに中量級に昇級後、アメリカのオスカー・デラホーヤ、イギリスのリッキー・ハットン、プエルトリコのミゲール・コットといった各国のヒーローたちをなぎ倒していく。その過程で、アジアの島国出身の小さなファイターは、世界的な影響力を誇るアスリートに成長していった。
「ボクシングを始めた時、これほどのことが成し遂げられるとは思っても見なかった。満足しているし、幸福だ。神に感謝を捧げたい」
 ブラッドリー第3戦後のそんなコメントは、すべてのボクシングファンの思いを代弁しているようにも思えた。
 このヒーローの活躍を目の当たりにし、私たちは驚き、興奮し、感動し、そして感謝した。引退を公言して臨んだ今夜の試合で、最後になるかもしれない興奮までプレゼントしてくれた。
 空前絶後のストーリーを体現した本名エマヌエル・ダピドゥラン・パッキャオは、現代の奇跡だった。メイウェザー、デラホーヤのような選手は再び現れても、パッキャオは2度と現れることはない。その常軌を逸したキャリアを同世代で目撃できた我々は、例えようもなく幸運で、幸福だったのである。
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著者プロフィール

東京都生まれ。日本で大学卒業と同時に渡米し、ニューヨークでフリーライターに。現在はボクシング、MLB、NBA、NFLなどを題材に執筆活動中。『スラッガー』『ダンクシュート』『アメリカンフットボール・マガジン』『ボクシングマガジン』『日本経済新聞・電子版』など、雑誌やホームページに寄稿している。2014年10月20日に「日本人投手黄金時代 メジャーリーグにおける真の評価」(KKベストセラーズ)を上梓。Twitterは(http://twitter.com/daisukesugiura)

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